著者
滝野 祐里奈
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.129, no.3, pp.1-34, 2020 (Released:2021-09-09)

ハワイへの官約移民に始まる日本人の大規模な海外移民及び植民は、国内外の政治状況に左右される形で、山谷を繰り返してきた。明治以後、多くの人びとがハワイ、そして北米へと移住したが、1908年の日米紳士協約によって事実上、米国への移民の途を閉ざされるに伴い、海外移民数は落ち込んだ。しかし、1920年代には、年間1万人から2万人もの人々が、再び移住先を、ブラジルを中心とする南米にかえて、海を渡るようになる。本稿は、この所謂「ブラジル移民ブーム」と呼ばれる現象の背景にあった、第一次世界大戦後の海外移植民政策・事業の変化とその規模拡大の過程を明らかにしながら、その政策的・社会的位置づけと特質の描出を試みるものである。 1920年代の海外移民送出数の盛り上がりの直接的な要因としては、1924年に内務省社会局が実現したブラジル移民渡航費全額補助が挙げられよう。大人一人につき200円もの渡航費を数千人規模で国庫から歳出するという同制度を含む、一連の海外移植民政策・事業は、当時、過剰人口問題の解決策と銘打たれていた。ただし、1920年代後半には、国内で食糧と職業を賄えない人々ではなく、一定程度の資産を持つ層を、移民ではなく植民として南米へ送出することへと、政策の軸が明らかに変化した。こうした政策・事業の変化の背景を明らかにしながら、本稿は、前述の目的に沿い、第一次世界大戦後のブラジルを中心とする海外移植民政策・事業について、深刻化する社会問題の解消と、海外への土地投資及び移住地建設を結び付けるような社会的枠組みを与えるもの、即ち、日本勢の海外進出に社会政策の看板を掲げるという、社会帝国主義の相貌を有するものであったことを指摘する。