著者
澤入 要仁
出版者
東北大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2007

19世紀中期のアメリカでは大衆詩がひろく読まれたが、それは単にテクストとして読まれたのではなかった。それにはしばしば、当時の最新技術であった精緻な木口木版画(wood engraving)が添えられていて、目でも楽しむことができるようになっていた。すなわち大衆詩の流行は、当時の印刷文化の著しい多面的な発達に支えられていたのであって、現在、顧みられることの少ないMary Hallock Footeなどのイラストレーターや、A. V. S. Anthonyなどの彫師が、大衆詩人たちと同様、当時の出版文化を牽引していたのである。
著者
澤入 要仁
出版者
東北大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2005

本研究では、二年間にわたって、19世紀中期のアメリカの詩と音楽の接点に光を当てて考察した。まず、平成17年度には、19世紀アメリカを代表する国民的詩人ヘンリー・ワズワース・ロングフェローと、同時代に活躍したコーラス・バンド、ハッチンソン・ファミリーとの関わりを中心に研究をおこなった。とくに、ハッチンソン・ファミリーがロングフェローの詩「イクセルシオ」にメロディを付してうたった歌がどのような歌であったのか分析した。その結果、歌「イクセルシオ」は、きわめて素朴な旋律の歌であって、「単調」な「詠唱」という評価もあったにもかかわらず、広く歓迎されていたことが分かった。すなわち19世紀中期には、メロディやリズムよりも詩を重視した歌が受け入れられていたのである。大衆詩という文学が広く受け入れられた当時は、音楽の分野でも詩が大きな位置を占めていたことが分かる。さらに平成18年度には、学生歌に注目し、学生歌と大衆詩との関係について考察した。とくに19世紀の中頃から20世紀初頭にかけて、ハーバード大学で人気のあった歌「ユパイディ」に焦点を合わせて研究した。「ユパイディ」は、同じくロングフェローの詩「イクセルシオ」を使った歌だった。原詩の「イクセルシオ(いや高く)」というリフレインを、「ユパイディ、ユパイダ」という、意味不明の剽軽なサビに置き換えていた。元来、この歌は、特定の同級生や教員を即興的にからかう歌だった。したがってつねに流動的な歌詞で歌われていたが、その詩を固定化したいときに使われたのが、詩「イクセルシオ」だった。この歌は、その後、イェール大学やプリンストン大学で、さらに南北戦争中には南軍でもうたわれるようになった。大衆詩は、まさに広く知られているが故に、口承的で流動的な大衆歌を固定化させるためにも利用されていたのである。
著者
澤入 要仁
出版者
立教大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2012-04-01

南北戦争が起こるとアメリカの大衆詩人たちは果敢に反応した。彼らは愛国心や哀悼など、戦争のあらゆる面をうたった。その多くは戦意昂揚をはじめとした素朴な感情を単純にうたったものだったが、詳しく検討すると、たくみな表現によって複雑な機能を果たす作品も少なくなかった。たとえば勇猛な老婆の物語「バーバラ・フリーチー」は戦中に書かれた詩でありながら、すでに戦後の和解や平和を示唆していた。南軍兵士が憂さ晴らしにうたう戯れ歌「あの喇叭卒」は、その卑俗な笑いによって、部隊の団結や死への覚悟を導く仕掛けになっていた。大衆詩はその表面的な分かりやすさの背後に、多層的・多義的な意味を秘めていたのである。