- 著者
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濱岡 剛
- 出版者
- 中央大学
- 雑誌
- 基盤研究(C)
- 巻号頁・発行日
- 2005
まず、アリストテレスが「ポリス(国家)的動物」という語をキーワードとしてポリスが「自然にしたがった」ものであることを論じている『政治学』第1巻第2章の議論を詳細に分析し、次のような点を明らかにした。家から村を経てポリスが形成される過程をアリストテレスは描いているが、その議論で繰り返し述べられている「自然によって」というのは、一貫して「人間の自然本性の実現に適う」という目的論的な意味で用いられており、人間がいわば本能のようなものによって家、村、ポリスを形成するということが語られているわけではない。『政治学』第1巻第2章の末尾では、個人がポリスの部分であることが指摘され、個人がまったくポリスに従属していることが強調されている。この点は『政治学』の他の箇所でも指摘されているように見える。しかし、それは特定の(生まれ育った)ポリスに従属し、そこから離れることが許されないというものではなく、人間の人間らしく生きているための「自足性」が確保される場として、ポリスに関わり、その政治的決定に参与する機会をもつことが必要である、ということが指摘されているあり、全体主義的な要素をそこに見いだすのは適当ではない。こうした分析を踏まえながら、『動物誌』第1巻第1章において、人間がミツバチなどと並んで「ポリス的動物」とされならがも、「群棲の動物と単独性の動物のとちらとも言える」両義的な存在であるとされていることの意味を探った。人間は他の「ポリス的動物」とは違って言葉によって価値の共有を可能とし、それによってポリスという集団を形成する。しかし他方で、言葉の習得を通じて熟慮能力をもつことができるようになり、人の集団から離れて暮らすことも可能となる存在である。