著者
濱野 靖一郎
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.69, no.1, pp.1_316-1_340, 2018

<p>科挙の無い徳川日本に於いて, 儒学は出世に必須ではなかった。幕末の能吏・川路聖謨も, 勘定所での実務能力で異例の昇進を果たした。しかし川路は数多くの儒者・蘭学者と交流し, 並の儒者では到底及ばない程の学識を持っていた。川路 (つまりは侍官僚) に於ける学問の意義が, 本稿の課題である。</p><p> 川路は徳川家康を堯舜以上の名君とし, 「武士」 の理想を追求する (「聖人」 を目指してはいない)。川路の 「実用の学」 とは, 「修己治人」 を旨とした朱子学的 「実学」 ではなく, 「武士」 が 「御役目」 を適切に遂行する知見として 「実用」 か, との意味であった。そのため川路は朱子学に止まらず, 徂徠学や頼山陽の著作も精力的に読み込んでいく。</p><p> 『寧府紀事』 に於ける御白洲と学問所の運営の記述を検討すると, 川路は朱子学関連の書を広く読み参考としながら, それとは異なる結果主義的な判断を多く下していた。更に理想的な統治者として, 法律の厳正な運用を行った子産や諸葛孔明を挙げる。川路にとって儒学も, 実務経験を基に取捨選択するものに過ぎない。それが儒者ならざる 「武士」 である川路の, 学問の活用であった。</p>
著者
濱野 靖一郎
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.69, no.1, pp.1_316-1_340, 2018 (Released:2021-07-16)
参考文献数
11

科挙の無い徳川日本に於いて, 儒学は出世に必須ではなかった。幕末の能吏・川路聖謨も, 勘定所での実務能力で異例の昇進を果たした。しかし川路は数多くの儒者・蘭学者と交流し, 並の儒者では到底及ばない程の学識を持っていた。川路 (つまりは侍官僚) に於ける学問の意義が, 本稿の課題である。 川路は徳川家康を堯舜以上の名君とし, 「武士」 の理想を追求する (「聖人」 を目指してはいない)。川路の 「実用の学」 とは, 「修己治人」 を旨とした朱子学的 「実学」 ではなく, 「武士」 が 「御役目」 を適切に遂行する知見として 「実用」 か, との意味であった。そのため川路は朱子学に止まらず, 徂徠学や頼山陽の著作も精力的に読み込んでいく。 『寧府紀事』 に於ける御白洲と学問所の運営の記述を検討すると, 川路は朱子学関連の書を広く読み参考としながら, それとは異なる結果主義的な判断を多く下していた。更に理想的な統治者として, 法律の厳正な運用を行った子産や諸葛孔明を挙げる。川路にとって儒学も, 実務経験を基に取捨選択するものに過ぎない。それが儒者ならざる 「武士」 である川路の, 学問の活用であった。
著者
濱野 靖一郎
出版者
法政大学国際日本学研究所
雑誌
国際日本学 = INTERNATIONAL JAPANESE STUDIES (ISSN:18838596)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.345-363, 2010-08-10

Carl Shmitt defined sovereignty as the subject of decision making in exceptional situations, and hence set forth decisionism. That, in Japan, was set forth by Rai Sanyo in the Edo Period, as the decision making ken, which is the very condition for the monarch to function as a ruler.This essay focuses on the idea of ken as the premise of decision making, and how it was developed throughout the Edo Period. In Japan, the idea of ken has been debated in relation to the interpretation of the 29th article in chapter 9 of Lunyu.If we follow Zhū Xī’s interpretation, ken would obtain a double meaning: the actual judgment, and the validity of its outcome. This essay tracks what changed since in the interpretation of ken in Japan, in the context of analyzing Lunyu, which was carried out by numerous figures from Kumazawa Banzan to Ogyu Sorai.That change, in short, reaches the point where ken is established as judgment. The process of decision making was divided into that of decision and judgment, and while decision was being rejected, judgment substantiated its prevail. While politics came to shun the idea of judgment by an individual, Sorai established judgment on the sphere of personal life. Sorai then clarified the double meaning embedded by Zhū Xī with two analogies: one is the deed of saints, which is always right; another is the judgment of ordinary people, which no positive consequence is guaranteed.Using the explanation above, Sanyo presents the idea of ken to the world of politics. Here, ken is something that allows political decision making but does not guarantee the outcome, because a monarch is not a saint but merely an ordinary person.