著者
澤田 篤子 猿谷 紀郎 寺尾 正 古坂 紘一
出版者
大阪教育大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2001

『金光明最勝王経』(以下『最勝王経』)を講論する法会である薬師寺最勝会は830年に勅命により始修された。中世には戦禍のため、廃絶し、近世には最勝講として形を変えて細々と行われていたものの、明治の廃仏毀釈により途絶えた。薬師寺の史料は大半が焼失しており、薬師寺や他寺蔵の最勝会および最勝王経に関連する法会および経疏等の史料(第二次史料を含む)を併せて比較分析を行った。本研究にあたって、まず以下の4点を精査した。(1)維摩会、御斎会、その他『最勝王経』を所依の経典とする諸儀礼の史料、および薬師寺蔵の最勝会関係の史料に基づく最勝会の成立と変遷の過程。(2)『最勝王経』の概要と特徴。(3)雅楽付法会における音楽(声明・論義・雅楽)の実態。(4)最勝会のテキストおよび遡及の上限(江戸期)における声明の旋律。また以上の結果から、次の2点を考察した。(1)中世以降その経典としての必要性が希薄になった『最勝王経』に依拠する儀礼の存在意義。(2)教義の追求が音楽やパフォーマンス等の表現の追求に凌駕されていく儀礼の特質。以上の成果から導かれた、宗教が本有する審美性、あるいは伝統に内在する創造性という二重構造の原理を、薬師寺大講堂における最勝会の復興に反映させた。すなわち、かつて護国経典として日本に受容された『最勝王経』を今日的視点から見直し、この結果を復興する最勝会の基本的理念に反映させた。さらに復元した声明・論義を軸に、新たな伝統に内在する創造性の面を強調し、かつ『最勝王経』の経説に基づき、新たに雅楽と打楽器による音楽を創作し、最勝会の平成での具体像を提言した。