著者
山下 博司 古坂 紘一
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. I, 人文科学 (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.38, no.2, pp.163-173, 1989-12

Murukan-Subrahmanya,God parexcellence of the Tamils,has been plausibly believed to be a son of Siva and Uma-Parvati and also to be the younger brother of elephant-headed Ganesa-Ganapati.There is another belief,on the other hand,that Murukan is the son of Korravai,the ancient Dravidian goddess of war and victory.How can such a twofold parentage of Lord Murukan be historically explained?When did such conventional relationship centered around this adolescent god come to be known?And,does his relationship with other deities represent any essential nature of God Murukan?In this paper,to find a clue to these questions,we will closely examine the so-called Cankam classics,the literary corpus written in ancient Tamil,so that we may catch a glimpse of extra-Sanskritic or,more particularly,Dravidian notions of the sacred which presumably gave profound influences on the formation and the development of the religious ideas and institutions of the Southern Hindu cultures.今日南インド・タミル地方(ナードウ)の民衆の間で絶大な人気と信仰を集める童子神ムルガン(スブラマニヤ)には,その出生に関して一定の神話的説明が施され,一般にも広く信じられている。この神の誕生にまつわる纏まった記述は,タミル語の古典として知られるサンガム文献の後期の諸作品中に初めて現れるが,そこに見出される説話のプロットは,北方インドの軍神スカンダ(クマーラ,カールッティケーヤ)の出生譚の言わば一つのヴァリエーションとも呼ぶべきものであって,ムルガンの誕生説話が,南インド・ドラヴィダ世界に固有の文化的・宗教的伝統に根差したものというより,寧ろサンスクリット系のエピックやプラーナの甚大な影響のもとに形成されたものであることを強く示唆している。同様のことは,ムルガン神の家族関係をめぐる神話的説明に関しても確認することができる。例えば,ムルガンとガネーシャ(ガナパティ)は兄弟をなし,共にシヴァ神の息子と信じられているが,シヴァの息子としてのガネーシャの初出は遅く,サンガム文献中では全く言及を受けない。ムルガンとシヴァ=パールヴァティー,或いはコットラヴァイ女神との親子関係についても,後期に成立した一部の作品を除いて,サンガム文献にはそれを支持する積極的な証拠が欠如している。これらの事実は,ムルガン神の出生と家族関係をめぐる神話や一般の信仰が,概して,タミル地方が北方インドからの絶え間ない文化的影響を吸収・同化する過程で,数世紀にわたって徐々に成立・定着を見たものであることを暗示している。
著者
澤田 篤子 猿谷 紀郎 寺尾 正 古坂 紘一
出版者
大阪教育大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2001

『金光明最勝王経』(以下『最勝王経』)を講論する法会である薬師寺最勝会は830年に勅命により始修された。中世には戦禍のため、廃絶し、近世には最勝講として形を変えて細々と行われていたものの、明治の廃仏毀釈により途絶えた。薬師寺の史料は大半が焼失しており、薬師寺や他寺蔵の最勝会および最勝王経に関連する法会および経疏等の史料(第二次史料を含む)を併せて比較分析を行った。本研究にあたって、まず以下の4点を精査した。(1)維摩会、御斎会、その他『最勝王経』を所依の経典とする諸儀礼の史料、および薬師寺蔵の最勝会関係の史料に基づく最勝会の成立と変遷の過程。(2)『最勝王経』の概要と特徴。(3)雅楽付法会における音楽(声明・論義・雅楽)の実態。(4)最勝会のテキストおよび遡及の上限(江戸期)における声明の旋律。また以上の結果から、次の2点を考察した。(1)中世以降その経典としての必要性が希薄になった『最勝王経』に依拠する儀礼の存在意義。(2)教義の追求が音楽やパフォーマンス等の表現の追求に凌駕されていく儀礼の特質。以上の成果から導かれた、宗教が本有する審美性、あるいは伝統に内在する創造性という二重構造の原理を、薬師寺大講堂における最勝会の復興に反映させた。すなわち、かつて護国経典として日本に受容された『最勝王経』を今日的視点から見直し、この結果を復興する最勝会の基本的理念に反映させた。さらに復元した声明・論義を軸に、新たな伝統に内在する創造性の面を強調し、かつ『最勝王経』の経説に基づき、新たに雅楽と打楽器による音楽を創作し、最勝会の平成での具体像を提言した。