著者
山口 敬太 田中 倫希 川崎 雅史
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D2(土木史) (ISSN:21856532)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, pp.39-54, 2015 (Released:2015-09-20)
参考文献数
67
被引用文献数
3

本研究は,戦前の大津における都市計画街路と湖岸埋立及び遊覧施設計画の内容と策定意図,実現過程を明らかにし,これらを通じて近代大津の都市建設の理念,実現の手段と主体のはたらきを明らかにするものである.大津では明治末年以降,市会を中心に湖岸埋立・道路整備構想が数度立案され,昭和初期には琵琶湖の風致整備を基軸とした近代的「遊覧都市」の建設という理念が確立し,このもとに都市計画街路網・埋立計画や遊覧施設計画が策定された.これらの計画は名勝地の連絡による遊覧交通系統の充実と,遊覧施設や湖岸の風致の整備を意図したものであった.湖岸埋立と逍遙道路は公有地の売却益による事業収入をもとに戦前から戦後にかけて実現した.これは市,県の遊覧都市建設という理念の共有に基づいた長期にわたる協働的推進によるものであった.
著者
山口 敬太 田中 倫希 川崎 雅史
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D2(土木史) = Journal of Japan Society of Civil Engineers, Ser. D2 (Historical Studies in Civil Engineering) (ISSN:21856532)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, pp.39-54, 2015
被引用文献数
3

本研究は,戦前の大津における都市計画街路と湖岸埋立及び遊覧施設計画の内容と策定意図,実現過程を明らかにし,これらを通じて近代大津の都市建設の理念,実現の手段と主体のはたらきを明らかにするものである.大津では明治末年以降,市会を中心に湖岸埋立・道路整備構想が数度立案され,昭和初期には琵琶湖の風致整備を基軸とした近代的「遊覧都市」の建設という理念が確立し,このもとに都市計画街路網・埋立計画や遊覧施設計画が策定された.これらの計画は名勝地の連絡による遊覧交通系統の充実と,遊覧施設や湖岸の風致の整備を意図したものであった.湖岸埋立と逍遙道路は公有地の売却益による事業収入をもとに戦前から戦後にかけて実現した.これは市,県の遊覧都市建設という理念の共有に基づいた長期にわたる協働的推進によるものであった.