著者
川崎 雅史 堀 秀行 佐佐木 綱
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木学会論文集 (ISSN:02897806)
巻号頁・発行日
vol.1993, no.458, pp.121-127, 1993-01-20 (Released:2010-08-24)
参考文献数
12
被引用文献数
1

本研究は, 日本の伝統的な空間に現れる陰影の意匠性を把握するための一つの方法として, 谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」に表現された陰影とその演出のしくみを景観論的に整理したものである. はじめに, 景観論的な視点を設定するために陰影の基本構成と基本類型の定義を行い,「陰翳礼讃」に表現された陰影の典型を抽出した. さらに, 抽出された陰影の構成要素ごとに美的な演出方法についての考察を行った.
著者
八尾 修司 山口 敬太 川崎 雅史
出版者
公益社団法人 日本都市計画学会
雑誌
都市計画論文集 (ISSN:09160647)
巻号頁・発行日
vol.51, no.3, pp.1152-1159, 2016-10-25 (Released:2016-10-25)
参考文献数
46
被引用文献数
1

本研究は,総合大阪都市計画(1928)における公園系統計画の成立過程について,関与した主体の動向に着目し明らかにするものである.大阪市区改正設計(1919)の認可後,大阪府都市計画課により,さまざまな種類の公園を公園道路により連絡させる公園系統計画が,都市計画放射路線とあわせて考案された.これは,大阪府兼都市計画大阪地方委員会技師であった大屋霊城が,公園道路のネットワーク機能の重要性に着目し,郊外の大公園と都市中心部を大道路により結ぶ「放射分散式公園系統」という考えを反映したものであった.ここで考案された公園計画案は,関東大震災後,避難路としての機能を付加した道路公園の整備という拡張点がみられたが,財政状況から多くが成案には至らなかった.第二次市域拡張(1925)後には,府が大公園の開設,市が主に市内小公園の経営にあたるという「府市共同」の体制がとられ,市域拡張部分の公園計画は大阪府都市計画課案が引き継がれることで,総合大阪都市計画公園計画として成立した.
著者
田中 尚人 川崎 雅史
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木計画学研究・論文集 (ISSN:09134034)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.331-338, 2002-09-30 (Released:2010-06-04)
参考文献数
29

水辺は都市と水域の双方を包含する境界領域であり, 舟運や陸運など様々な都市基盤が接続する結節点である. 本研究では, 京都伏見を対象地として歴史的な文献・資料等を用い, インフラストラクチャーとしての水辺の近代化プロセス, 都市空間への影響を分析した. 近世の水辺は物流・旅客のターミナルとして機能し, 都市施設を集積させ都市的な賑わいの基盤となった. 近代においては, 近世以来舟運により保持されてきた都市機能やアメニティは鉄道駅周辺へと移行し, 水辺の工業基盤機能が卓越するようになった結果, 都市アメニティを享受する場としての水辺が散漫になった. このような都市形成のメカニズム, 及びそこで水辺が果たした役割が本論文にて明らかになった.
著者
林 倫子 藤原 剛 出村 嘉史 川崎 雅史 樋口 忠彦
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D (ISSN:18806058)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.187-197, 2009 (Released:2009-06-19)
参考文献数
49
被引用文献数
1 1

現在の京都御苑周辺に歴史上設けられた数多くの園池へは,禁裏御用水が供給されていた.本研究では,広域的な導配水システムとしての禁裏御用水に着目し,その流路構造や付帯施設を歴史的資料を用いて明らかにした.その結果,禁裏御用水の4つの施設面の特徴とマネジメントルールを抽出し,禁裏御用水が水の安定供給に加えて上流の田畑と下流の園池での水の共用にも配慮していたことを示した.更に,各園池への導水経路を検証し,水の引き込み方の特徴として,相国寺開山塔庭園の特殊性と御溝水の自由度の高さを指摘した.
著者
林 倫子 神邊 和貴子 出村 嘉史 川崎 雅史
出版者
土木学会
雑誌
土木学会論文集D (ISSN:18806058)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.246-254, 2010

本研究は,明治・大正期に鴨川の河川空間が官有地となり京都府の管理下にあった時期を取り上げ,官有地利用に関する行政文書など当時の史料の読み取りを通じて,料理屋・貸座敷営業者による先斗町の鴨川河岸地と堤外地の土地利用の仕組みを解明した.その結果,[1]当時の先斗町の鴨川官有地は,営業者にとって付加価値の高い場所として認識されていたこと,[2]先斗町の営業者は,河岸地を宅地として隣接する民有地と一体的に利用しており,その地先に当たる堤外には高床構造や床几構造を設け,それぞれ別の契約によって官有地を借用していたこと,[3]営業に用いる河川構造物は営業者が私費を持って設置・修繕を行っており,京都府は一定の節度を持ってその可否決定をなすことで鴨川の河川環境を管理していたことが明らかになった.
著者
八尾 修司 山口 敬太 川崎 雅史
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D1(景観・デザイン) (ISSN:21856524)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, pp.95-107, 2015 (Released:2015-10-20)
参考文献数
41
被引用文献数
2 2

本研究は,1928(昭和3)年に都市計画決定した総合大阪都市計画の公園道路を対象に,公園道路網計画の詳細と,その一部である桃ヶ池・田邊公園道路の実現過程を明らかにするものである.本研究の結果,大阪市の公園道路網計画が自然の風致を活かした系統的な公園連絡を意図したものであったこと,この公園道路網の一部である桃ヶ池公園道路において,沿道地主の主体的な意志と大阪府建築課との協働により,壁面線後退を活用した良好な景観の形成が目指されていたことを明らかにした.また,同公園道路の設計及び整備の具体的内容とその変遷を示し,公園道路の形成の過程を明らかにした.
著者
山口 敬太 繁田 いづみ 川崎 雅史
出版者
Japanese Institute of Landscape Architecture
雑誌
ランドスケープ研究(オンライン論文集) (ISSN:1883261X)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.1-8, 2014 (Released:2014-02-26)
参考文献数
79

“Yamanobe-no-michi” is known as one of oldest routes in Japan and a popular hiking route, which is rich in nature and cultural assets. This paper aims to clarify a development process of scenic evaluations and landscape conservation in the area of Yamanobe-no-michi, and to examine current ideas of conserving the landscape. The route Yamanobe-no-michi, which was rediscovered and indicated in 1941 for the first time, had come to stay as a hiking route, and lots of scenic representation had been made in the area along the route. The area has been conserved since 1960s, and the route of Yamanobe-no-michi has been ranked as a symbol and a nucleus. When the area was designated as a Historic Landscape Preservation District, a historical landscape council attached great importance to “mental landscape” composed of images formed by ancient literature. The area was designated as a quasi-national park, and a trail was established as a part of Tokai Nature Trail. This paper showed a rediscovery and indication of the ancient route afforded an opportunity to develop its peculiar area image and to conserve landscapes of its surrounding area. The route has become a substantial ancient route in the end.
著者
林 倫子 神邊 和貴子 出村 嘉史 川崎 雅史
出版者
土木学会
雑誌
土木学会論文集D (ISSN:18806058)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.246-254, 2010

本研究は,明治・大正期に鴨川の河川空間が官有地となり京都府の管理下にあった時期を取り上げ,官有地利用に関する行政文書など当時の史料の読み取りを通じて,料理屋・貸座敷営業者による先斗町の鴨川河岸地と堤外地の土地利用の仕組みを解明した.その結果,[1]当時の先斗町の鴨川官有地は,営業者にとって付加価値の高い場所として認識されていたこと,[2]先斗町の営業者は,河岸地を宅地として隣接する民有地と一体的に利用しており,その地先に当たる堤外には高床構造や床几構造を設け,それぞれ別の契約によって官有地を借用していたこと,[3]営業に用いる河川構造物は営業者が私費を持って設置・修繕を行っており,京都府は一定の節度を持ってその可否決定をなすことで鴨川の河川環境を管理していたことが明らかになった.
著者
林 倫子 林 孝弥 出村 嘉史 川崎 雅史
出版者
土木学会
雑誌
土木史研究論文集 (ISSN:13484346)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.59-65, 2009-06

Kamigamo Shake-machi in Kyoto has a historic water system consisted of canal network and old ponds in residential sites of Shinto priests. This study aims to clarify its transition since the Meiji era. The location of canals and ponds were investigated chronologically through the reference of old maps and a series of interviews with inhabitants in Shake-machi today. The major results are the followings: a) Water supplied by water system in Kamigamo Shake-machi has been used for domestic use and irrigation use. b) There were a total of 50 ponds supplied from water system. c) Today the water is supplied to only about half of 50 ponds. d) Seven ponds were constructed after the Meiji era. e) The number of surviving ponds varies from area to area. It depends on the development control and feature of water system.
著者
田中 尚人 川崎 雅史
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.151-159, 2000-05-01 (Released:2010-06-15)
参考文献数
40

It is useful for infrastructure planning to learn the technologies of civil engineering in the past and study a process of urban development. We classify the transition of urban development along the Lake Biwa Canal that was based on the function of navigation systems, and consider the action of the infrastructure on urban development.The Lake Biwa Canal was constructed by using water from the Lake Biwa in the 19th century applying the latest technology in Meiji period. This canal has been produced a lot of amenity for about 100 years since the construction, in spite of disappearance of shipping there. It was found through our study that navigation systems was one of the most important function of the Lake Biwa Canal and this infrastructure played an important part in the urban development of Kyoto.
著者
谷川 陸 山口 敬太 川崎 雅史
出版者
公益社団法人 日本都市計画学会
雑誌
都市計画論文集 (ISSN:09160647)
巻号頁・発行日
vol.53, no.3, pp.289-296, 2018-10-25 (Released:2018-10-25)
参考文献数
50
被引用文献数
2

本研究は,風致地区内の現状変更許可申請書に記された具体的な事例をもとに,周囲の道路などからみた敷地の眺望に基づいて行為許可や行政指導が行われていたことを明らかにするものである.1931年から1933年までの風致地区許可申請書における京都府行政の指導内容から以下の結論が示された.山辺では,宅地造成の際,周囲の道路などの平地方面から望見される場所において,敷地の周囲や法面を丁寧に植栽し,敷地全体を隠蔽するよう指導が行われていた.水辺では,橋上や対岸などから見える敷地を隠蔽する河川・池方面への植樹の指導や,水辺に適した樹種の植樹の指導が行われていた.風致委員会答申の取締基準と答申以前の指導内容を比較すると,不許可の規定や建蔽率の指導などについて同様の内容が見られたものの,具体的な植栽の記述は基準ではほとんど省かれていた.これは各開発行為に対して現地調査や敷地の眺望に基づいて適切な指導が行われていたためであり,裁量行為の余地を広く残すためであったと考えられる.
著者
八尾 修司 山口 敬太 川崎 雅史
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D1(景観・デザイン) = Journal of Japan Society of Civil Engineers, Ser. D1 (Architecture of Infrastructure and Environment) (ISSN:21856524)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, pp.95-107, 2015
被引用文献数
2

本研究は,1928(昭和3)年に都市計画決定した総合大阪都市計画の公園道路を対象に,公園道路網計画の詳細と,その一部である桃ヶ池・田邊公園道路の実現過程を明らかにするものである.本研究の結果,大阪市の公園道路網計画が自然の風致を活かした系統的な公園連絡を意図したものであったこと,この公園道路網の一部である桃ヶ池公園道路において,沿道地主の主体的な意志と大阪府建築課との協働により,壁面線後退を活用した良好な景観の形成が目指されていたことを明らかにした.また,同公園道路の設計及び整備の具体的内容とその変遷を示し,公園道路の形成の過程を明らかにした.
著者
出村 嘉史 川崎 雅史
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集 (ISSN:02897806)
巻号頁・発行日
vol.2005, no.779, pp.779_95-779_104, 2005 (Released:2006-04-07)
参考文献数
40
被引用文献数
1

本研究は, 京都東山の麓にあたる浄土寺・鹿ヶ谷・若王子地域を対象として, 近代化によって変容した景域の形成過程を明らかにするものである. 古地図や絵図, 文書や過去の出版物などの史料と, 地形の分析をもとに, 地域の構成が遷移する様子とその要因を考察した. その結果, 広い田園地帯と山裾に独立して並ぶ社寺を結ぶ限られた道による近世の原形は, 大正11年頃に始まる住居開発の時期に大きく変容したことが分かった. 明治23年の琵琶湖疏水分線の挿入はその重要な基盤であった. 住居地域の開発時には, 住み始めた住人による直接的空間創造と価値の発見に促進されて, かつてより山裾に存在する歴史的領域と, 散策性を得た水辺を含む住宅地の領域の二層構造で特徴付けられる一つの景域へと成長した.
著者
西村 直 田中 尚人 川崎 雅史
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木計画学研究・論文集 (ISSN:09134034)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.413-424, 1998-09-30 (Released:2010-06-04)
参考文献数
10

本研究は、ニュータウンをはじめとする人為的な空間の水辺計画を考える際の基礎資料として、1960年以降の近畿圏における代表的なニュータウンを対象とし、実地踏査、設計者へのヒアリングをもとに水辺の計画・設計の歴史的な変遷を整理したものである。失われた水辺を再びアメニティの要素として復活させようという社会の要請が高まる中で、ニュータウンの水辺の計画も、初期の機能が限定されていた施設単体の点的、線的な整備の時代から、複合的な機能をもつ施設を重ねてニュータウン全体へ面的な広がりを持たせる整備の時代に至っている。このような中で、本研究では、水辺の立地、水供給システム、意匠のコンセプトの視点から、近年の水辺計画は手法が多様化しているという動向を明らかにすることができた。
著者
村上 理昭 山口 敬太 川崎 雅史
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D2(土木史) (ISSN:21856532)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, pp.11-24, 2015

堺大濱では,明治期半ば以降,堺市や阪堺電気軌道株式会社によって公園地経営が進められた.本研究では堺市会決議録・会議録や行政資料,大阪毎日新聞堺周報等の資料をもとに,堺市大濱公園における管理と経営の変遷と,作り出された海浜リゾート空間の形成過程を明らかにした.具体的には,堺市による官有地を借り受けての料理屋・茶店営業を主とした遊園地経営,内国勧業博覧会を契機とする水族館と西洋式広場の整備,堺市の財源不足や鉄道会社間の競合関係を背景とした阪堺電気軌道の公園経営への参画と公会堂や潮湯などの文化・娯楽施設の整備,市と阪堺電気軌道の考えの相違による契約解消,といった公園地経営の経緯を明らかにし,海浜リゾートとしての空間形成の実態を明らかにした.
著者
村上 理昭 山口 敬太 川崎 雅史
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集 D2(土木史) = Journal of Japan Society of Civil Engineers, Ser. D2 (Historical Studies in Civil Engineering) (ISSN:21856532)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, pp.11-24, 2015

堺大濱では,明治期半ば以降,堺市や阪堺電気軌道株式会社によって公園地経営が進められた.本研究では堺市会決議録・会議録や行政資料,大阪毎日新聞堺周報等の資料をもとに,堺市大濱公園における管理と経営の変遷と,作り出された海浜リゾート空間の形成過程を明らかにした.具体的には,堺市による官有地を借り受けての料理屋・茶店営業を主とした遊園地経営,内国勧業博覧会を契機とする水族館と西洋式広場の整備,堺市の財源不足や鉄道会社間の競合関係を背景とした阪堺電気軌道の公園経営への参画と公会堂や潮湯などの文化・娯楽施設の整備,市と阪堺電気軌道の考えの相違による契約解消,といった公園地経営の経緯を明らかにし,海浜リゾートとしての空間形成の実態を明らかにした.
著者
出村 嘉史 川崎 雅史
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木計画学研究・論文集 (ISSN:09134034)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.409-418, 2003-09-30 (Released:2010-06-04)
参考文献数
7

本研究では、主に現地の観察と実測をもとに、近代の都市拡大期に誕生した吉田山北東部の数寄空間と住宅を組み合わせた領域の地形操作による空間構成と景観演出上の工夫を明らかにした。数寄空間である茂庵庭園では、丘陵地の傾斜をそのまま活かして広く沿路を張り巡らし、重要な視点場となる建築周辺の地形のみを立体的に造形し効果的に演出された。東下に隣接する谷川住宅群では、傾斜を段地にして住居を配置し、石垣と建築に挟まれ閉じた通路空間と、積極的に眺望を捉える石段で構成された。両者の改変した地形の上で建築と庭、通路の位置関係により景観が決定され、山居と住居のデザインに連続性を作り、自然から都市へ至る秩序が形成された。
著者
林 倫子 神邊 和貴子 出村 嘉史 川崎 雅史
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D (ISSN:18806058)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.246-254, 2010 (Released:2010-05-20)
参考文献数
23

本研究は,明治・大正期に鴨川の河川空間が官有地となり京都府の管理下にあった時期を取り上げ,官有地利用に関する行政文書など当時の史料の読み取りを通じて,料理屋・貸座敷営業者による先斗町の鴨川河岸地と堤外地の土地利用の仕組みを解明した.その結果,[1]当時の先斗町の鴨川官有地は,営業者にとって付加価値の高い場所として認識されていたこと,[2]先斗町の営業者は,河岸地を宅地として隣接する民有地と一体的に利用しており,その地先に当たる堤外には高床構造や床几構造を設け,それぞれ別の契約によって官有地を借用していたこと,[3]営業に用いる河川構造物は営業者が私費を持って設置・修繕を行っており,京都府は一定の節度を持ってその可否決定をなすことで鴨川の河川環境を管理していたことが明らかになった.
著者
出村 嘉史 川崎 雅史 田中 尚人
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木計画学研究・論文集 (ISSN:09134034)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.387-394, 2001-09-30 (Released:2010-06-04)
参考文献数
6
被引用文献数
1 1

本研究では、絵図や文献などの歴史的資料の分析やヒアリング調査、現地の観察をもとに、近世円山界隈に存在した時宗寺院の空間構成を明らかにした。急傾斜である長楽寺では幾つかの平場を立体的に組み合わせて構成され、平場間の起伏が豊かな場所に庭園を造った。次に傾斜の大きい安養寺では、敷地内に起伏を持つ塔頭が立体的に組み合わせられ、建築と庭の多様な位置関係が視線の多様性を産み出した。そして緩傾斜の双林寺では平面上に並んだ塔頭で構成され、立体的な空間構成を造る為に築山や借景が用いられた。このように豊かにつくられた空間では、後に席貸が行われ、飲食、宴席が積極的に行われ文化的交流の場として利用された。