著者
田中 孝信
雑誌
人文研究 (ISSN:04913329)
巻号頁・発行日
no.60, pp.110-124, 2009-03

イギリスの帝国主義的野心によって始まった第2次ボーア戦争(1899-1902)は、イギリス側の当初の予想に反して長期化の様相を呈する。政府は戦争を遂行するために世論を味方につけなければならなかった。それに大きく貢献したものの一つが「戦争もの」と呼ばれる大衆文学である。実際の軍隊が提供できない英雄と勝利の物語を大衆に期待されたそれらには、理想の兵士像や国家像が描き込まれる。本論では特に、これまであまり顧みられなかったドキュメンタリー・タッチの作品に焦点を当て、その主人公に据えられた「トミー・アトキンズ」像を分析した。結果として明らかになったのは、その像が孕む異質性だ。勇猛果敢で母国への忠誠心に溢れる陸軍兵卒は、将校への不満を通して社会の階級的緊張を示唆し、肉体的に退化し道徳的に堕落した現実のフーリガンと結びつく。軍隊はフーリガンを更生する役割を担う一方で、フェアプレーの精神というカモフラージュのもと、将校も兵卒もともにフーリガンと同じく残忍性を示す。既成事実化していたイギリス人とボーア人の優劣、軍隊内の秩序、文明と野蛮といったものの境界の流動化という問題が生じる。ボーア戦争は、それらの問題が今にも噴出せんとするイギリス史上初めての戦争だったのである。しかし、従来の言説に生じた亀裂は「健全な臣民」育成の大合唱によって覆い隠され、社会は「異質な要素」を孕んだまま、悲惨な第一次大戦へと突き進んで行くのである。
著者
田中 孝信
出版者
大阪市立大学文学部
雑誌
人文研究 (ISSN:04913329)
巻号頁・発行日
vol.43, no.8, pp.p623-641, 1991

1840年から翌年にかけて週間読物Master Humphrey's Clock(1840-41)に掲載されたThe Old Curiosity Shop[以下OCSと略す]は, 従来の喜劇的なメロドラマに新しくペイソスを加え, "Little"を冠せられたNellという純情可憐な乙女の哀れな物語を綴ろうとしたDickensの野心作である。……