著者
田渕 直樹
出版者
水資源・環境学会
雑誌
水資源・環境研究 (ISSN:09138277)
巻号頁・発行日
vol.28, no.2, pp.159-164, 2015 (Released:2015-12-28)
被引用文献数
1

東北地方太平洋沖地震が藤沼ダムを決壊させ、8人の犠牲者を出した。その原因はM9.0にも達した地震だけでなく、築堤材料や施工、維持管理に瑕疵があったからである。しかしダム津波に気付いて避難した人や、流されても脱出して助かった人もいる。それゆえハード対策だけでなく、ソフト対策も充実させれば、犠牲者を減らすことが可能であったと考える。
著者
田渕 直樹
出版者
水資源・環境学会
雑誌
水資源・環境研究 (ISSN:09138277)
巻号頁・発行日
vol.30, no.2, pp.85-89, 2017 (Released:2017-12-29)

1960~80年代四国3県で計画された原発立地の中で、映画「シロウオ」で描かれた徳島県阿南市椿町の蒲生田原発立地計画は、四国電力株式会社が2度目に撤退したものである。住民は個人から隣組、傍示へと反対運動を拡大し、漁村の椿泊町では漁協総会で反対の議決が行われた。市議会と県議会では推進派が多数であったが、反対派議員が活発に活動した。そして住民は集団で県知事や県議会、市長や市議会に陳情・請願を行い、県外から専門家を招いて活発な学習会を行った。つまり強力な住民運動の上に、労働組合や市外の自治体や漁協、県外の専門家や市民の支援を得て、「原子力ムラ」と対峙することを可能にしたのである。更に、スリーマイル島原発事故や四国電力株式会社の醜聞も重なり、市長・県知事は立地計画を白紙撤回した。
著者
田渕 直樹
出版者
新潟大学大学院現代社会文化研究科
雑誌
現代社会文化研究 (ISSN:13458485)
巻号頁・発行日
no.23, pp.1-18, 2002-03
被引用文献数
1

The 'Mizu Kaese' movement is one of the first local resident's campaign in Japan to succeed in acquiring the maintenance flow discharge in the river. But the people of the three Kawanes were not satisfied with the results at all. What is the reason of it? Firstly, the people of the three Kawanes did not fully understand the 'Kawara Sabaku' of the Ooi river. The dam of the Chuden Co.Ltd., destructed the circulation of water and soils and the eco-system of the Ooi river. Secondly, because the leaders of that campaign was not people but person of influence in the three Kawanes, they couldn't give a challenge to the Chuden Co.Ltd., and the government. The 'Mizu Kaese' movement is completely different from a citizen's movement that was in fashion since 1990's in Japan. Next step, they need to set up a council to discuss the eco-system in the Ooi river, and start a campaign of reviving the river with the people all over the country.
著者
田渕 直樹
出版者
水資源・環境学会
雑誌
水資源・環境研究 (ISSN:09138277)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.61-68, 2009-03-05 (Released:2011-03-31)

日本の大河信濃川、その中流域はJR 東日本(株)などが水力発電所のために過剰取水をし、表流水が涸れて水道水不足や生態系破壊など、河川環境破壊を惹き起こしている。そこで市民は改善を求め、後に市役所の協力を得て東京でシンポジウムを開くなどの活動に取り組み、水利権更新期でないにも拘わらず、40m3/s以上もの試験放流を獲得した。しかし市役所主導の運動となってしまい、進行中の清津川ダム・プロジェクトに反対しなかった。90年代に一世を風靡した長良川河口堰運用反対運動などとは別の市民運動である。