著者
登谷 伸宏
出版者
京都府立大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2017-04-01

本研究では、織豊系城下町の形成過程と歴史的特質を明らかにするため、織豊政権が建設した城下町に注目し、その空間・社会構造について検討を進めている。平成30年度は、①昨年度から検討を進めていた小浜城下町の形成過程について、さらなる史料の収集を行うとともに、論文の執筆に着手すること、②織豊系城下町の空間・社会構造の特徴を見極めるため、戦国期末から近世初頭に各地で建設された構・惣構に囲繞された都市の空間・社会構造を明らかにすること、③織豊系城下町形成に関する研究支援データベースの構築を継続的に進めることを計画していた。以上の研究目的・計画にもとづき、当該年度は具体的につぎの2つの作業を行った。第1が、小浜城下町の形成過程をより具体的に検討し、大まかな流れを把握することである。具体的には、港町小浜が若狭武田氏の城下町として位置づけられた大永2年(1522)頃から慶長6年(1601)の京極氏による小浜城築城までに、いかなる都市形成が進められたのかを、先行研究でも注目されている「小路」名のつく街路、および寺社の移動という視点から改めて整理し直した。また、小浜城下町は、織田信長の重臣であった丹羽長秀により改変が行われたものの、長秀自身は近江国の佐和山城を拠点としており日常的に小浜にはいなかったという点を重視し、信長の家臣団の建設した城下町のうち、同様の条件を持つ事例との比較検討も行った。以上の結果については、論文として執筆し始めている。第2が、織豊系城下町の空間・社会構造の特徴を明らかにするため、構・惣構といった防御施設により囲繞された都市を比較対象としてえらび、その空間・社会構造を解明することである。具体的には、京都近郊の吉田社・醍醐寺という権門寺社を対象として分析を行い、いずれも境内・伽藍中心部を囲繞する構、門前集落全体を囲う構という二重の構を形成していたことを明らかにした。