著者
相馬 和将
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.130, no.9, pp.68-97, 2021 (Released:2022-09-20)

本稿は、中世後期にしばしばみられる公家衆や将軍家庶流の子弟が室町殿の猶子となって寺院に入室する現象(猶子入室)の意味を検討したものである。 猶子入室は、これまでの研究において、室町殿による「寺院統制策」の一環として理解されてきた。しかし、実際には入室先の寺院や出身母体たる公家衆の側からの申請によってなされた事例が多いことを明らかにし、その背景として、室町殿猶子になることで有利な待遇を得られたことや、門跡の後継にふさわしい「貴種」が払底していたという中世後期の社会状況があったことを指摘した。 また、猶子入室は王家や摂関家の猶子をはじめ、各身分階層において確認でき、室町殿猶子だけを取りあげて室町殿による「寺院統制策」であると評価することは難しいとしたうえで、王家猶子の微増と室町殿猶子の減少が相関関係にないことも論じた。 さらに、室町殿猶子の数量や、猶子の出身家門に着目したとき、義満・義持期は足利庶流を猶子にした事例が大半で、公家からの申請も二条流だけに限られていた。しかし、義教期・義政期は、猶子申請する家門が幅広い階層にわたっていたことから、将軍家の尊貴性・貴種性・権威が格段に上昇しており、特に義政期は猶子からみたとき、政治的には不安定ながらも、将軍家権威が最高潮に達していたと評価した。足利将軍家は「貴種」だから寺院・公家社会から猶子申請されたのと同時に、寺院・公家社会から猶子申請される構造が将軍家の権威をさらに上昇・固定させたものと考えられる。 最後に、本稿の要約と戦国期への展望を示し、門跡・出身家門・室町殿のつながりの分析は中世後期を考察するうえで不可欠の視座であることを述べ、その一例が猶子入室という現象だったことを指摘した。