著者
眞砂 薫
出版者
近畿大学教養・外国語教育センター
雑誌
近畿大学教養・外国語教育センター紀要. 外国語編 = Kinki university center for liberal arts and foreign language education journal. foreign language edition (ISSN:21856982)
巻号頁・発行日
vol.2, no.2, pp.131-148, 2012-03-01

[要約] 2010年から2011年にかけて、グロービッシュという言葉が注目された。これは、国際共通語としての英語(EnglishasanInternationalLanguage:EIL)として提案されてきた英語の最新形である。グロービッシュは、過去に提案されてきたEILや人工言語など、異言語・異文化の人々を繋ぐ中間言語に比べて、最もよく現代の英語をめぐる世界状況を反映するものでもある。言語の歴史を振り返れば、異言語・異文化間交流のために発生し、活用された言語は多くあり、それらはピジン言語と呼ばれてきた。本論では、ピジン言語、特にピジン英語とグロービッシュの比較検討を行う。ピジン英語とグロービッシュは、英語非母語話者(非ネイティブ)の英語として共通点も多い。そうであれば、ピジン言語使用者が置かれた社会環境や、英語母語話者および白人支配社会が英語非母語話者に与えた不利益を、グロービッシュ話者は受けないとは言えない。その可能性についても考察を進める。21世紀の世界では、国策として英語を公用語とし、国民の英語運用能力を向上させようという国も多い。グロービッシュもまた、その思潮にのって現れたことは確かである。しかし世界的な英語公用語化の動きに問題はないのか。この点を検証し、世界的な英語公用語論を批判的に考察する。
著者
眞砂 薫
出版者
近畿大学教養・外国語教育センター
雑誌
近畿大学教養・外国語教育センター紀要. 外国語編 (ISSN:21856982)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.111-128, 2012

[要約]国際化する世界の中で、外国語学習者にとって母語と外国語は対立する存在に見える。しかし人間は言語を使って思考し学習するので、言語の違いを越えた共通基盤として、学習者が思考し学習するための学習言語能力が仮定されうる。学習言語能力(Cognitive Academic Language Proficiency: CALP, 以下CALPとする)というべきものを仮定すれば、学習者の母語と外国語の違い以上に、学習に必要な基盤であるCALPの養成が重要となる。しかしCALPの重要性はこれまで十分には評価されなかった。その理由として、第1に、言語運用能力を考える場合、「日常生活における最低限度の会話能力」と、「情報整理や論理的思考に必要な学習言語能力」を区別して考えなかったことがある。第2に、日本では外国語学習に関して、日常生活での最低限度の会話能力こそが外国語運用能力と考えられてきた。この考えは、英語教育では英語覇権主義とネイティブ神話(英語教育における母語話者への過剰な信頼)によって強化されてきた。これは「外国語としての英語(EFL)教育」と、「第2言語としての英語(ESL)教育」の混同である。日本の外国語教育環境はEFL型であり、ESL型ではない、という認識の欠如であった。本論は、CALPの重要性を考察したうえで、日本における外国人学習者(韓国人ニューカマー児童)の学習支援問題についての調査を紹介し、比較しながら日本の大学英語教育の問題点を考える。そしてCALPを考慮した教育方略が必要であることを提言する。また外国人学習者支援と日本人の英語教育は、無関係または正反対のものではなく、CALPという観点に立てば、両者は表裏一体であり、学習者には母語を使ったCALP力の養成が優先してなされるべきであることを結論とする。著者専攻: 言語哲学・英語学
著者
眞砂 薫
出版者
近畿大学教養・外国語教育センター
雑誌
近畿大学教養・外国語教育センター紀要. 外国語編 (ISSN:21856982)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.117-126, 2013

[要約]英語が国際共通語として生き残るとすれば、英語はどのような変化を経験しなければならないのか。これまで学術的に議論されてきた国際共通語としての英語(English as Lingua Franca: ELF)の「概念の外側へ(exo-noramative ELF)」あるいは「概念の上に(supra-normative ELF)」を想定する試みを検討する。今回は特に、一つの英語の変種・亜種として国際英語という実態が存在するのかを批判的に考察する。眞砂, 薫 著者専攻: 言語哲学・英語学