著者
知野 泰明 大熊 孝 石崎 正和
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
日本土木史研究発表会論文集 (ISSN:09134107)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.123-130, 1989-06-20 (Released:2010-06-15)
参考文献数
17
被引用文献数
1

In Japan, before river improvement works began from the age of civil strife wars in the 16th century, people had been allowing free floods on alluvial plains. It was construction of embankments in the river improvement projects that had gradually thrusted floods in river ways. In modern ages, embankments had become higher and stronger. Therefore, general people at present have naturally thought that rivers don't overflow their banks. Nowadays, if once we allow floods from rivers, it may cause heavy damages.In Japan, it is said that the river improvement works by using high embankments to protect cultivated lands against overflow have begun since the Kyouhou period (1716-1736) in the Tokugawa era.Nowadays, we can understand Water use and Control technologies at that time from literatures of the Tokugawa era. In order to know the change of river improvement methods of those days, we have tried to find out development of embankments in the Tokugawa era by using these existing literatures.
著者
伊東 孝 石崎 正和
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.69-80, 1993-06-01 (Released:2010-06-15)
参考文献数
7

小泉橋は、多摩川から取水する二ヶ領用水に架けられた江戸時代の石桁橋である。本橋は、明治期および昭和戦前期に、拡築・補強が行われたが、近世の石桁橋が現役で使用されていた希有の事例である。しかし、二ヶ領用水の河川改修の伴って、本橋が架け替えられることになった。そこで、橋の解体発掘調査を進めた結果、架橋に関する古文書が発見されるなど、興味深い特徴が明らかになった。その一つは、橋台壁にも橋脚を設置していること。もう一つは、太鼓落し仕上げの松丸太一本物が、橋軸方向の土台木として橋長よりも長く通されていたことである。これにより、橋全体は、松丸太基礎の上で一つの構造体を構成し、不等沈下に対しても極めて強い構造になっている。本論では、これを “一種の免震構造” と呼んだ。そのほか橋脚の瘤出し装飾、漆喰と平落釘を利用したガタ留め、新しい材料としてのセメントと丸棒の使用、江戸時代の橋普請、架橋費用を捻出した「橋山」、天保の石桁橋と明治の拡築工事の経緯など、小泉橋の構造的・歴史的特徴が明らかになった。
著者
石崎 正和
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
日本土木史研究発表会論文集 (ISSN:09134107)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.253-258, 1987-06-20 (Released:2010-06-15)
参考文献数
13
被引用文献数
1

蛇籠はわが国において古くより護岸・水制に利用されてきた代表的な資材である。これまで蛇籠が初めて使用されたのは, おそらく「漢書・溝洫誌」をもとにしたと考えられる「倭訓栞」により河平元年 (紀元前28年) とするのが一般的であったが, 「長江水利史略」などの中国の水利文献によると, すでにそれ以前に都江堰の築造 (紀元前360~250年) に際して用いられたとしている。また, 蛇籠がわが国に伝来したのは, 「古事記」の記述をもとに330~640年頃といわれているが, 時代を特定することは困難である。いずれにしても蛇籠は, 農書, 地方書などでも必ず取り上げられ, 近世には相当普及していた。蛇籠の詰石そのもは今日も変りはないが, 籠の部分は竹や柳などの植物から, 明治中頃には竹籠を鉄線で補強したものが現われ, その後機械編の亜鉛メッキ鉄線が普及した。戦後に至り, 蛇籠の構造についての規格化が図られ, 永久化工法の研究などを含め, 種々改良が試みられてきた。しかし, コンクリートブロックの普及などに伴って, 蛇籠の利用も次第にその利用範囲が縮小し, 応急的かつ暫定的な側面が強くなっている。近年, わが国古来の伝統的な河川工法についての見直しがなされる傾向にある。本稿では, 蛇籠の歴史的な側面について報告するとともに, 今日なお竹蛇籠を使用している中国の概況について報告したが, 屈撓性, 透過性, 経済性などの特性を有する蛇籠について, 歴史的な資材として見捨てること無く, その特性を生かした現代的な利用法が積極的に検討されることを期待する。