著者
伊東 孝 鈴木 伸治 武部 健一 津田 剛 原口 征人 藤井 三樹夫 鈴木 盛明 小野田 滋 為国 孝敏
出版者
日本大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2002 (Released:2002-04-01)

近年、「ハードな土木」に対し、土木政策や事業決定のプロセスなど「ソフトな土木」を解明することも土木史の重要な課題と考えられるようになった。本研究は、日本の高度経済成長の牽引役を果たしてきた高速道路に焦点をあて、欧米で普及しているオーラルヒストリーの手法を用いて、1)関係者がご存命のうちに、話を聞き、整理し、資料として後世に残すこと、2)あわせて土木史研究に適用できる方法論を確立することを目的としている。本研究成果の概要は、次の通りである。本研究は、土木学会土木史研究委員会オーラル・ヒストリー研究小委員会がおこなった。1)インタヴューの実施及び証言記録の作成と保管本研究では、4箇年の研究期間をとおして、戦後の道路行政の黎明期を代表する3人の技術官僚にインタヴューを実施し、証言記録の作成と保管をおこなった。(1)平成14〜15年度は、高橋国一郎氏(元建設省事務次官・元日本道路公団総裁):通算7回(2)平成15〜16年度は、井上孝氏(元建設省事務次官・元参議院議員・元国土庁長官):通算6回*井上氏は平成16年5月以降、体調をくずされ、11月に逝去された。今回のオーラルヒストリー・インタヴューが氏の最後のお仕事になった。(3)平成16〜17年度は、山根孟氏(元建設省道路局長・元本州四国連絡橋公団総裁):通算10回2)土木史研究におけるオーラルヒストリー手法の構築3人のインタヴュー対象者へのインタヴューをとおして、オーラルヒストリーの方法論構築に向けての内容蓄積と検討をおこなった。そして最終年度に、5冊の報告書(「実践編」3冊と「理論編」2冊)を作成した。それぞれのインタヴューは、「実践編」として3冊の速記録にまとめた。また蓄積したオーラルヒストリーの方法論を「総括編」とし、ワン・デイ・セミナー(16年度開催)の速記録とともに、2冊の「理論編」としてまとめた。
著者
伊東 孝
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.219-229, 1994-06-09 (Released:2010-06-15)
参考文献数
15

1940 (昭和15) 年に竣工した勝閧橋は、東洋一の可動橋といわれた。橋桁がハの字に開く双葉の可動橋は、わが国でははじめてのタイプであり、シカゴ・タイプの可動橋ともいわれた。シカゴ市での現地調査とヒアリングおよび文献などから次のことが判明した。(1) シカゴ市の管理橋だけでも50の可動橋が存在し、そのうち30橋が稼動している。このほか鉄道橋の可動橋もある。かつては舟運交通のために橋を開閉していたが、現在では春と秋にミシガン湖に出入りするレジャー用のヨットのために橋を動かしている。(2) 可動橋の発展は、4期にわけられる。重要なのは、二期の都市美運動に端を発する検討時期である。可動橋のデザインと装飾は、シカゴ・プランにもかかわったE. H. ベネットが中心になってまとめ、モデルはパリのネオ・バロック様式にあった。
著者
増田 亜希子 伊東 孝通 和田 麻衣子 日高 らん 古江 増隆
出版者
日本皮膚科学会西部支部
雑誌
西日本皮膚科 (ISSN:03869784)
巻号頁・発行日
vol.78, no.4, pp.353-355, 2016-08-01 (Released:2016-12-15)
参考文献数
8

27 歳,女性。小児期よりアトピー性皮膚炎に罹患していた。初診の 6 年前より夫の精液付着部位に蕁麻疹と瘙痒を認めた。その後,避妊具なしで性交した際に全身に蕁麻疹を認め,呼吸困難も出現した。同様のエピソードが過去 2 回あった。避妊具を使用した性交渉では同様の症状を生じたことはなかった。近医を受診し,精漿アレルギーの疑いで当科を紹介され受診した。10 倍から1000 倍に希釈した夫の精漿を用いたプリックテストでは,検査した全ての濃度で紅斑と膨疹が出現した。本疾患は精漿中に存在する前立腺由来の糖蛋白に対するⅠ型アレルギー反応であると考えられている。精漿アレルギーの患者の半数以上にアトピー性皮膚炎の既往があると報告されており,皮膚バリア機能の障害による経皮感作が発症に重要な役割を担っていることが推察される。本疾患は皮膚科領域での報告は比較的稀であるが,アトピー性皮膚炎関連アレルギー疾患の一つとして位置づけることができると考え報告した。
著者
紅林 章央 前田 研一 伊東 孝
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究論文集 (ISSN:13495712)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.99-116, 2006-06-15 (Released:2010-06-04)
参考文献数
16

This study is made for demonstrating the construction projects about bridges on Ome-Street in Okutama Town in Tokyo. These can be classified into three periods. In the first period, from 4 to 10 years in Showa Era, the Civil Department of Tokyo Prefecture made the street wide. In the second, from 12 to 13 years in Showa Era, the waterworks bureau of Tokyo City built the street to transport the construction materials of the Ogouchi-Dam. In the third, from 31 to 32 years in Showa Era, the waterworks bureau of Tokyo Prefecture built the street in the areas which were under water by building the Ogouchi-Dam. In the first, six long-span bridges were all different, and short-span bridges were rainforced concrete arch bridges. In the second, three bridges were designed by Masayosi Kabashima, Jun Masuda, Katsutake Naruse, famous technicians of bridges. In the third, five arch bridges designed by Katsutake Naruse and Samon Honma were all different.
著者
伊東 孝之
出版者
ロシア・東欧学会
雑誌
ロシア・東欧研究 (ISSN:13486497)
巻号頁・発行日
vol.2015, no.44, pp.5-28, 2015 (Released:2017-08-18)

When World War 1 broke out, most of the nations in Eastern Europe identified themselves with the existing Empires. Poles were mobilized into the three Empires that divided them. They ran the risk of fighting against each other. Germans in the Russian Empire fought in the Russian army against Germany. As the war progressed, however, they became aware of their ethnic identity. They were discriminated against by the authorities or the populace of the ruling nationality. Or they were manipulated by the belligerent nations against the enemy. A lot of new states came into being in Eastern Europe after the war in the name of national self-determination. Most of them, however, were not “ethnic states” in the proper sense of the word. They included many citizens of different ethnicity. On the other hand, as a result of the Russian Revolution a state based on the completely new principle came into being: the Soviet Union. It adopted ethnicity as the constituting principle of the state and formed a federation of ethnic republics. Ethnic republics were, however, just on paper. There were no institutional arrangements that would promote citizens’ allegiance to the given republic. The all-mighty Communist Party of the Soviet Union is the institution that should secure citizens’ allegiance to the federal center. So long as the ideological mobilization worked, they managed to succeed in resurrecting citizens’ civic loyalty to the state as a whole. As the international tension mounted in the course of the 1930s, the Soviet leadership started to look with mistrust on national minorities on the periphery which resulted in the mass murder in Eastern Europe. The famine in 1932–33 in Ukraine was the first case. It was no natural, but man-made disaster to which 3.3 million people fell victim. It was caused by the excessive requisition of grain that the authorities forced through for the ambitious industrialization program. Ukraine had to pay a particularly heavy toll for it. Those who tried to resist were blamed for “Ukrainian nationalism” and “actions to serve the interests of the enemy”. Most of the victims of the so-called “Great Purge” in 1937–38 were citizens of national minorities in Eastern Europe. They were suspected to be spies for Japan in the case of the “Kulak operation” and for Poland in the case of the “Polish operation”. 625,000 people were incriminated and shot to death. During World War 2 Germans and Soviets did ethnic cleansing in a huge scale in Eastern Europe. Germans considered Eastern Europe as nothing more than suppliers of raw materials, foods and labor forces, and were not interested in integrating peoples there. They starved to death about one million inhabitants of Leningrad and 3.1 million soldiers of the Red Army most of whom were conscripted from Eastern Europe. 5.4 million East European Jews fell victim to the German extermination policy after July 1941. Soviets, on the contrary, were interested in integrating peoples they captured. However, they shot to death most of the elite who cooperated with the previous regime and exiled “enemy nationalities” en masse to Central Asia or Siberia. Beneath the German-Soviet war another ethnic cleansing unfolded: Ukrainian nationalists killed about one hundred thousand Poles and Jews in Volynia. (View PDF for the rest of the abstract.)
著者
片桐 正夫 石澤 良昭 上野 邦一 藁谷 哲也 畔柳 昭雄 重枝 豊 清水 五郎 伊東 孝 坪井 善道 重枝 豊 伊東 孝 畔柳 昭雄 坪井 善道 藁谷 哲也 石澤 良昭 上野 邦一 伊豆原 月絵 大山 亜紀子 小島 陽子 チェン ラター 加藤 久美子 長澤 紘人 木下 洋道 勝原 基貴 有川 慎一郎 ロス ボラット ブリュノ ダジャンス ブリーノ ブルギエ イム ソックリティ 三輪 悟
出版者
日本大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2005 (Released:2005-04-01)

王道(幹線古道)の踏査、および沿道遺構の実測を含むデータの収集により、(1) 王道及び遺構の建築的編年指標から建造年代の確定、技術的特徴の解明、これによる地域別の差異、技術者集団の存在について、(2) 各道の整備の編年、役割についての考察(Bルートでは現タイピマーイへ、Cルートではプリア・ヴィヘア、現ラオスワット・プーなどへの聖地巡礼、Dルートでは鉄資源の確保や生産地を結ぶなど)が可能となった。
著者
伊東 孝之 前田 弘毅 久保 慶一
出版者
早稲田大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2009 (Released:2009-04-01)

本研究は、セルビアからのコソボ独立問題とグルジアからの南オセチア・アブハジア独立問題という2つの紛争事例を調査し、共通性と差異を浮き彫りにしつつ、両者の間の相互作用にも注目し、今後の国際政治に与える影響を分析することを目的としていた。具体的には、(1)紛争の背景、(2)紛争の推移、(3)国際関係と国際関係主体に対する影響の3点について、現地調査も踏まえて比較分析を進めた。各計画年度に多くの現地調査を実施し、現地から研究者を招聘し、研究会を開催し、研究成果を公表してきた。比較研究の総合化へは道半ばであるが、政治学や国際関係論、歴史学など様々なディシプリンの成果を援用しつつ、紛争を複数の視点から考察することの意義と有用性については、三年間の間で本研究参加者の間で共通の認識を得ることができたと考える。本研究の成果は今後のより地域横断的かつ総合的な研究に活かされていくことが期待される。
著者
伊東 孝之
出版者
北海道大学
雑誌
スラヴ研究 (ISSN:05626579)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.159-206, 1980-08-28
著者
伊東 孝之
出版者
北海道大学
雑誌
スラヴ研究 (ISSN:05626579)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.135-190, 1978-03-25
著者
伊東 孝郎
出版者
白鴎大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2005 (Released:2005-04-01)

本研究は、志願学生をピア・サポート・スタッフとして育成することを主眼とし、ビデオを用いたカウンセリング体験学習の方法に基づく新トレーニング方法を開発することが目的である。過去2年間で12名の志願者に対しトレーニングを実施したが、量的評価と自由記述を通しての効果測定の結果も良好であり、また実際に彼らが開始したピア・サポート活動の観察結果から、技能面でも意欲面でも高いレベルを維持し、思いやりの心をもって活動していることが確認できたため、今年度も昨年度までと同様のトレーニングを実施することとした。今年度は2名がトレーニングに参加したが、トレーニング出席率は昨年度までよりも減少した。2名という少人数のグループサイズでは、観察学習の機会が得にくく、モチベーションの維持が難しいこと、人間関係もそれ以上広がりようがなく、仲間意識も芽生えにくいことなどが予想され、昨年度の人数である4名程度は少なくとも必要ではないかと思われた。トレーニングの成果としてのピア・サポート活動は、順調に進んだ。特に平成19年度には、相談件数が前年度の8件から109件へと急増した。その多くは4月に行われ、学業や施設案内などについての情報提供型活動が中心だったが、5月以降になると件数はさほど多くないものの、多岐にわたる内容の直接相談活動が中心となった。なお活動自体もカンファレンスも、貴重なトレーニングの場となっていた。これまで広島大学訪問、名古屋大学との意見交換の結果を、ピア・サポート活動の参考としてきたが、今年度は新たにニューヨーク大学を訪れ、ピア・エデュケーションのスーパーバイザー兼トレーニングプログラム開発者らと意見交換を行ったところ、本研究のトレーニングに対して高い評価を得た。