著者
稲垣 春樹
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.127, no.1, pp.1-34, 2018 (Released:2019-01-20)

イギリス領インド植民地史研究においては、18世紀後半から19世紀前半にかけて、現地の商業文化への参入を前提とする多元的な海洋帝国から、植民地政府を頂点とする一元的な領土帝国への転換が起こり、それに伴って植民地統治がより専制的になったと指摘されている。とりわけ植民地法制史の研究者は、この領土拡張に伴う専制化の一因として、征服戦争という緊急事態における例外的措置が、戦後に規範化されて平時の体制に持ち越されるという現象が見られたことを指摘することで、この問題に新たな研究視角を与えている。しかし既存の研究は、抽象的な国家論に言及したり人種偏見が背景にあったと指摘したりするのみで、例外状態が平常化・制度化された具体的なメカニズムについて十分な地域史的検討を行っていない。本稿はこれについて、インド人によるイギリス司法制度の積極的な利用を背景とする1820年代ボンベイにおける政府と裁判所の管轄権対立と、それを契機とするボンベイ、カルカッタ、ロンドンにおける立法、行政、司法の三権に関する国制的な論争、そしてその帰結である1833年東インド会社特許法によるインド統治の集権化を事例として検討した。その結果、第三次マラータ戦争直後の1820年代ボンベイの情勢不安と、ボンベイ政府がこれに在地貴族を通じた間接統治政策によって対応しようとしていたという地域的な条件の下で、インド人の日常的な司法実践に起因する管轄権問題が政府の治安維持政策の根幹を揺るがすものとして解釈され、緊急事態における政府の裁量権を確保しようとする動きをボンベイ、カルカッタ、ロンドンにおいて生み出していたことが明らかになった。すなわち多元的な植民地法制に内在した管轄権問題は、特定の地域史的な条件において現地行政官に危機として解釈されることで統治制度の専制化に帰結したのである。