著者
加茂 直樹 竹山 重光
出版者
環境技術学会
雑誌
環境技術 (ISSN:03889459)
巻号頁・発行日
vol.22, no.12, pp.742-746, 1993-12-30 (Released:2010-03-18)
著者
竹山 重光
出版者
和歌山県立医科大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2005

カントが『実践理性批判』で語っている「自己満足」という感情に着目し、『実践理性批判』以外の諸著作をも検討、さらには現代の哲学的感情研究をも参照して、この感情の存在・意義を明らかにした。カントの実践哲学は峻厳なものであるが、同時に、きわめて人間的であり、人間の有限性を厳しく自覚したものである。「自己満足」概念の検討はこの点をはっきりと示してくれる。
著者
竹山 重光
出版者
和歌山県立医科大学
雑誌
紀要 (ISSN:03852741)
巻号頁・発行日
vol.33, pp.29-55, 2003

It is through ordinary activities that human being gets into relations with the world. Those day-to-day activities are not conspicuous, but basic for the human-being. A tiny tale in The Gospel according to St. Luke, Martha and Mary shows us an impressive figure of those activities. Meister Eckhart's exegesis of this tale, of which we treat mainly in this essay, puts forward a noteworthy thought about those activities. He considers them as a manifestation of human perfectness. Martha, not Mary, embodies human perfectness, which has a dynamic double structure. Martha is a woman. This fact gives us another problematique. We deal with it also.
著者
竹山 重光
出版者
和歌山県立医科大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1999

・X線画像をはじめとする画像技術の普及および進展によって、人間のからだにたいするイメージや知識が大きく再構成された。・それらイメージや知識は医学医療側によって占有的に囲い込まれており、生きられるからだはいわば不在になっている。・そうした状況下にあってわれわれは、医学医療という科学技術の営みとどうかかわるべきか。事実的に、われわれが抱くイメージおよび知をそれが構成している以上、それと訣別することはできない。囲い込みの柵を破って、われわれ自身がこの営みに近づき、ハイデガーの言う「技術との自由な関係」を結ぶべく努めるしかない。・画像制作を先導している諸概念、諸志向をわれわれ自身が追跡し言語化しなければならない。・そしてその際に、医学医療の営みに相当ジェンダー・バイアスがあること、これが手がかりとなる点であり、また留意すべき点である。