著者
笠井 勝子
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 = Bulletin of The Faculty of Language and Literature (ISSN:09145976)
巻号頁・発行日
vol.19, no.2, pp.19-62, 2006-03-01

ルイス・キャロルは『不思議の国のアリス』を出版して1 年半後の1867 年にロシアへ旅行をした。その時の旅行日記を翻訳し、また現在と当時の生活や習慣の違いなどによって説明が必要と思われる事項にはできるだけ注を付し注釈付き翻訳とした。翻訳に先立つ序のなかでは、旅行をすることになった経緯と、一緒に旅をしたヘンリー・パリー・リドゥンとキャロルとの関係、またリドゥンの宗教上の立場などについて解説した。この旅行日記ではその頃の英国の大学人が初めて外国を訪れて出会った驚きがユーモアを交えて語られていて、キャロルが普段つけていた日記とはちがい読み手を想定していることが窺える。事実キャロルの死後に他の日記は親族の手を経て大英図書館に入ったが、旅行日記はそれとは別に米国へ渡り、単独であるいは他の作品と一緒に全集の中に印刷されてきた。ロシア語を知らなかったキャロルはロシア語の僅かな単語だけで話を通じさせようとしている。キャロルがメモしたロシア語の一部には彼の勘違いもあると指摘を受けたので注に記しておいた。
著者
笠井 勝子
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.31-55, 2005-09-01

1884年のFeeding the Mind は、比喩と話の運びに注目したいルイス・キャロルの読書論である。この講話がどこで書かれたかについて考察する。Duncan Black (1996年)とSelwyn Goodacre (1984年)はキャロルがオールフリタンを訪問する前と見なしているのだが、訪問中に書いたのであろうと推測する。 グッデーカー(1984年)に入っている写真版からキャロルの講話を訳出し、内容に関する詳しい注を付けた。また、キャロルの日記とグッデーカーの冊子に基づいてオールフリタン訪問に至る経緯、およびイーディス・デンマン、ウィリアム・ドゥレイパーのこと、彼らを訪ねた1884年の選挙制度改革にキャロルが深い関心を持っていたこと、などに基づいて、ルイス・キャロルとドゥレイパーとの間にはこれまで注目されていない好感・共感が存在したことを考察する。
著者
笠井 勝子
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.17, no.2, pp.49-63, 2004-01

本稿は、1867年にドジスンがロシアへ旅行をした時の日記研究の第2部である。第1部は『英米学研究』(文教大学女子短期大学部)第31号に発表した。ドジスンの日記のMS(手書き本)はノートの形態で9冊が残っており、英国の大英図書館が所蔵している。ロシア旅行の日記は同じノートの形態ではあるが独立ノートに書かれて米国のプリンストン大学図書館が所蔵している。本稿はマクロフィルムでMSを使用した。本稿では次の3点を検討する。(1)ロシア旅行記はドジスンが自分の日記の記録として書いたというよりも人に読ませることを考えていたと思われる。(2)人に読ませるという意図から、平生の日記には見られない『不思議の国』の作者らしいユーモアが見て取れる。(3)マイクロフィルムの日記と1999年に英国ルイス・キャロル協会が出版した印刷本の日記について、テクストの比較を行う。
著者
笠井 勝子
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.19, no.2, pp.19-62, 2006-03

『不思議の国 ルイス・キャロルのロシア旅行記』ルイス・キャロル著 ; 笠井勝子訳, 開文社出版, 2007.5(ISBN:978-4-87571-991-5)として刊行ルイス・キャロルは『不思議の国のアリス』を出版して1 年半後の1867 年にロシアへ旅行をした。その時の旅行日記を翻訳し、また現在と当時の生活や習慣の違いなどによって説明が必要と思われる事項にはできるだけ注を付し注釈付き翻訳とした。翻訳に先立つ序のなかでは、旅行をすることになった経緯と、一緒に旅をしたヘンリー・パリー・リドゥンとキャロルとの関係、またリドゥンの宗教上の立場などについて解説した。この旅行日記ではその頃の英国の大学人が初めて外国を訪れて出会った驚きがユーモアを交えて語られていて、キャロルが普段つけていた日記とはちがい読み手を想定していることが窺える。事実キャロルの死後に他の日記は親族の手を経て大英図書館に入ったが、旅行日記はそれとは別に米国へ渡り、単独であるいは他の作品と一緒に全集の中に印刷されてきた。ロシア語を知らなかったキャロルはロシア語の僅かな単語だけで話を通じさせようとしている。キャロルがメモしたロシア語の一部には彼の勘違いもあると指摘を受けたので注に記しておいた。