著者
笹尾 道子
出版者
岩手大学人文社会科学部
雑誌
言語と文化・文学の諸相
巻号頁・発行日
pp.17-29, 2008-03-21

スタレーヴィチが始めたロシアのアニメーションはおもに大人向けで,昆虫を主人公にした不倫ものなどであった。革命後の1919年に彼がフランスに亡命するとともに,アニメーション制作は一時中断する。彼が考案した撮影技術が誰にも伝えられることなく西側に持ち出されたからである。ソビエト時代の1920年代に,ジガ・ヴェルトフらにより復活するが,初めのうちはおもに革命プロパガンダ用のものであった。そのうちにプロパガンダ臭のない,子ども向けのアニメも作られるようになる。第二次大戦中は再びプロパガンダ用のアニメが主流となる。ソビエトのアニメ作品が西側に知られるようになるのは,第二次大戦後のことである。民話や童話を題材にしたロシア独特の作品は,ストーリーの面白さ,色彩のあざやかさ,芸術性の高さで世界を驚かせた(『せむしのこうま』『雪の女王』など)。1960年代から80年代はソビエトアニメ全盛期である。多数の子ども向け作品だけでなく,現代社会を風刺したおとな向け作品も作られるようになった。ソビエトのアニメは,世界各地のアニメ祭で数々の賞を受賞するようになる。多数の優れた作品が生み出された背景には,国が出す豊富な資金があった。こどもの情操教育にアニメが果たす役割を国が認めていたためである。アニメーターたちは,資金の調達に奔走することもなく,じっくり時間をかけて制作できた。そのかわり企画投階から検閲があり,検閲とのかけ引きに時間をとられることが多かった。比較的簡単に上映にこぎつけた作品もあれば,多くの修正を余儀なくされたもの,完成後に上映が事実上制限された作品もあった。西側社会を風刺したものも,その時の情勢によっては企画が通らないこともあった。検閲のきまぐれに翻弄されながらも,ソビエトのアニメーターたちはしたたかに社会風刺を作品のあちこちにこめた。本論では,社会批判や風刺がこめられている作品のいくつかを時代に沿って取り上げ,特徴を分析する。また最近検閲の実態も明るみに出始めており,アニメーターと検閲とのかけ引きについても触れていく。