- 著者
-
米村 昭二
- 出版者
- 北海道社会学会
- 雑誌
- 現代社会学研究 (ISSN:09151214)
- 巻号頁・発行日
- vol.9, pp.37-73, 1996
- 被引用文献数
-
1
高田保馬は、すでに一九一六年人種的偏見について触れ、よた利益社会の終着駅に平和で平等な世界社会∥人類社会の到来を予見しており、高田の民族論には広民族が論議されなければならない科学的必然性があった。<BR>東亜民族は、高田によると、同血、同文、同住の紐帯による親和がその底流にあり、一九三〇年代はこの自然的な超民族的融合を自覚にまで高め、その強化と発展を意思的に追求することが各民族に要求されていた。高田は、まずそれを理論的に解明した後、、この3同に基づいて白人からの東亜解放を要求し、民族間の互助分業と国内的な生活切り詰めが必要だとする。その点、東亜諸民族の結合紐帯やその目標が曖昧な東亜協同体論や東亜の政治経済上の外面的組織のみを論じる東亜連盟論は非科学的だと批判し、あくまで結合が中心とする社会学的分析が必須であるとし指摘し、また、それが日中の平和回復にとっても必要不可欠だと強調する。<BR>だが、高田は、戦争の真因を解明できずに戦う相手に拳を振り挙げたままで平和と和解を呼びかけたところで無視されて水泡に帰し、高田の念願であった東亜解放も、一五年間対日戦争を戦い抜き、米英の外圧を防いで自衛と独立を勝ちとった中国によって達成され、東亜社会論にはピリオドが打たれることとなったのである。