著者
米田 利昭
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.28, no.3, pp.60-74, 1979-03-10
著者
米田 利昭
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学
巻号頁・発行日
vol.39, no.3, pp.100-102, 1990
著者
米田 利昭
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学
巻号頁・発行日
vol.27, no.8, pp.92-93, 1978
著者
米田 利昭
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.33, no.6, pp.p13-23, 1984-06

「門」に登場する人物の一人、<甲斐(かい)の織り屋>とは何者だろう。富士の北影の焼け石のころがる小村から、反物をしょって都会へ来る行商人だが、その村の描写が、子規の「病牀六尺」に出てくる新免一五坊からの聞き書きと類似するので、同じ材料からではなかろうか、とわたしは疑った。しかし、ちがうらしい。<甲斐の織り屋>は事実の反映ではなく、その頭髪の分け方が安井を思わせるように、宗助の過去をよびおこし、彼の内部にねむる罪の意識を引き出すためのしかけだった。だが同時に、それは、現実にある日本人の生活の貧しさ、つつましさを示して、都会に生活する日本人に反省の材料を提供するものでもあった。ここから出発して、主人公宗助が日常生活のあいまに抱く想念はどのようなものか、さらに彼がその想念に追われるようにして体験する<異なる時間>とは何か、を見て、生の不安と共に社会不安の中に人は生きるものだ、と作者漱石がいっている、とそのようにわたしは「門」を読んだ。
著者
米田 利昭
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.33, no.10, pp.1-15, 1984-10-10

「こころ」は「よくできている作品」(吉田精一)といわれている。しかし素朴に読むと矛盾に充ちた作品でヽそのかいたるものが、妻(以前のお嬢さん)が自分をめぐる男二人の争いを知らず、残った男(夫)の心がどうして変って来たかも知らない、それについて想像をめぐらそうともしない、「純白」のまま放置されている不自然さである。作者は充分承知している筈の男と女のリアリズムを無視している。同様にして「私」も「私」の父母も現実性を失っており、こうしたリアリズムを犠牲にすることで、漱石はいったい何を描きたかったのか、何を主張したかったのか、-それを読もうとした。
著者
米田 利昭
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.35, no.6, pp.33-45, 1986-06-10

一 坊っちゃんのアイデンティティ、いいかえると自己のかけがえのなさの感覚は、小説中の事件(マドンナの争奪)に対する坊っちゃんの態度決定にあらわれる。二 生徒を<豚>視する一方、<教育>を理想視する坊っちゃんとは、人間を社会から切り離し、個としてその行動と意識だけを書くという漱石の方法によるものだ。三 小説中、清からマドンナへ重心が移動する。作者に残された課題は、現実の女マドンナに口をきかせることだった。