- 著者
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織田 和家
- 出版者
- 専修大学人間科学学会
- 雑誌
- 専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
- 巻号頁・発行日
- vol.3, pp.93-107, 2013-03-15
日本社会の特性として個人的な判断を欠き、他人任せになる傾向があるといわれるが、筆者はその原因として「イマジネーションの欠如」を指摘したい。「イマジネーション」とは一般的には「想像力」を意味することばであるが、ここでは「人間が社会生活を営む上で不可欠な、『見えざるもの』について考察する態度」と定義する。具体的には「この行為を行えば次はどうなり、どのような結果になってどのような効果/損失をもたらすか」という「未来へのまなざし」、過去という「見えざるもの」に対し積極的に目を向け、真実を求め、「人間は何をしかねないのか」を知り、そこから和解と共生を実現しようとする「過去へのまなざし」、周囲に流されるのではなく「自分」はどうなのかと考察・自省する「自己へのまなざし」、単なる自分の価値感情の押しつけになることなく、他者理解を行おうとする「他者へのまなざし」であり、別の視点からミルズの「社会学的想像力」も求められよう。イマジネーション欠如の理由として、筆者は仮説として「むきだしの資本主義」「安楽への全体主義」に加え情報化の弊害を指摘したい。そしてイマジネーションを回復するためには「実態交流」「労働組合の経営外的機能」「教育に於けるイマジネーション養成のための努力」の3点を指摘したい。