著者
室井 康成
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.65-105, 2018-03-23 (Released:2018-07-16)

2000年以降、いわゆる「荒れる成人式」問題が顕在化している。一般に成人式は、多くの日本人が加齢の過程で経験する重要な人生儀礼の一種として理解されているため、その荒廃ぶりは現代の若者の未熟さを示すものとして、しばしば睥睨の対象となっている。それは成人式が、近代まで日本各地において、15歳前後の若者に対して行なわれてきた成人儀礼「元服」の現代版として捉えられることも一因だと思うが、実は両者に連続性はない。これまで現行の成人式は、敗戦直後に埼玉県蕨市で行なわれたものが全国に普及したとする説が有力であったが、本稿の調査を通じて、それがすでに戦前の名古屋市で行なわれていたことが明らかとなり、その開催趣旨や運営方式から、そこに元服的要素はなく、あくまでイベントとして開催されていたことを確認した。翻って成人式定着以前の類例を、各地の民俗事象を手掛かりに見てゆくと、何歳を成人と見なすかという基準は、ほぼ集落単位で取り決められており、全国一律の基準などなく、またその認定時期も個人の成熟度に応じて、かなりの柔軟性を持っていたことが明らかになった。この場合の成熟度とは、男子は「親の仕事を手伝う能力」、女子の場合は「結婚可能性」であり、いずれも個人差を前提としていた。だが、そうした柔軟性を駆逐したのが、明治期の徴兵制に起源をもつ「成人=20歳」という新基準であったが、これも全国民の間で共有されたと政府が認めたのは、戦後10年を経た頃であった。逆説的だが、「成人=20歳」という認識も、戦後の官製成人式の普及によって国民の間に浸透したのである。しかし、現在では新成人の約半数は就学者であり、しかもその段階で既婚である者も少ないであろう。前代に比べて現代の若者が幼く見えたとしても、それは仕方のないことである。法の規定とは別に、成人と見なす基準は時代や個人の境遇によって変わるということは、近代の民俗史が語るところだが、そうした様々な差異を無化して、無作為に人を一堂に集めるから荒れるのであり、そこに官製成人式の限界がある。とはいえ、多くの人が経験し、しかも70年以上の歴史をもつ行事であれば、それは十分に民俗学の対象である。通常、民俗学はその対象を「保護・顕彰」すべきものとして捉えるが、本稿では、現行の成人式が民俗的根拠を欠いた意義なきものであることを論じ、その廃止を提言する。
著者
室井 康成
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
no.8, pp.65-105, 2018-03

2000年以降、いわゆる「荒れる成人式」問題が顕在化している。一般に成人式は、多くの日本人が加齢の過程で経験する重要な人生儀礼の一種として理解されているため、その荒廃ぶりは現代の若者の未熟さを示すものとして、しばしば睥睨の対象となっている。それは成人式が、近代まで日本各地において、15歳前後の若者に対して行なわれてきた成人儀礼「元服」の現代版として捉えられることも一因だと思うが、実は両者に連続性はない。これまで現行の成人式は、敗戦直後に埼玉県蕨市で行なわれたものが全国に普及したとする説が有力であったが、本稿の調査を通じて、それがすでに戦前の名古屋市で行なわれていたことが明らかとなり、その開催趣旨や運営方式から、そこに元服的要素はなく、あくまでイベントとして開催されていたことを確認した。翻って成人式定着以前の類例を、各地の民俗事象を手掛かりに見てゆくと、何歳を成人と見なすかという基準は、ほぼ集落単位で取り決められており、全国一律の基準などなく、またその認定時期も個人の成熟度に応じて、かなりの柔軟性を持っていたことが明らかになった。この場合の成熟度とは、男子は「親の仕事を手伝う能力」、女子の場合は「結婚可能性」であり、いずれも個人差を前提としていた。だが、そうした柔軟性を駆逐したのが、明治期の徴兵制に起源をもつ「成人=20歳」という新基準であったが、これも全国民の間で共有されたと政府が認めたのは、戦後10年を経た頃であった。逆説的だが、「成人=20歳」という認識も、戦後の官製成人式の普及によって国民の間に浸透したのである。しかし、現在では新成人の約半数は就学者であり、しかもその段階で既婚である者も少ないであろう。前代に比べて現代の若者が幼く見えたとしても、それは仕方のないことである。法の規定とは別に、成人と見なす基準は時代や個人の境遇によって変わるということは、近代の民俗史が語るところだが、そうした様々な差異を無化して、無作為に人を一堂に集めるから荒れるのであり、そこに官製成人式の限界がある。とはいえ、多くの人が経験し、しかも70年以上の歴史をもつ行事であれば、それは十分に民俗学の対象である。通常、民俗学はその対象を「保護・顕彰」すべきものとして捉えるが、本稿では、現行の成人式が民俗的根拠を欠いた意義なきものであることを論じ、その廃止を提言する。
著者
矢崎 慶太郎
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
no.4, pp.137-148, 2014-03

本論では、芸術についての社会学理論を概観するために、基本的なアプローチを4つに区分して考察する。まず第一に芸術を道徳や経済などの「社会の反映」として示すコント、マルクス、第二に、芸術を社会と対立する関係にあるものと見なし、「社会の外側」にあるものとして扱うアドルノおよびゲーレン。第三に、芸術は社会的な反映ではないが、政治や経済と同様に、社会制度のひとつであり、「社会の内側」に属するものとして扱うベッカー(アート・ワールド)、ブルデュー(芸術場)、ルーマン(芸術システム)。第四に、芸術そのものを社会の原型として見るジンメル、および芸術がどのように他の社会領域に影響を与えているのか、という視点から芸術と経済との関係を研究するアプローチを取り上げる。これらの4つのアプローチを取り上げながら、芸術をどのように社会的な現象として扱うことができるのか、および芸術の社会学的研究にはどのような意義があるのかについて明らかにする。
著者
岡村 陽子
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 心理学篇 (ISSN:21858276)
巻号頁・発行日
no.6, pp.1-7, 2016-03

臨床神経心理士(Clinical Neuropsychologist)とは,脳と行動の関係について理解し,神経心理学的な知識に基づいて評価や治療的な介入を行う専門職である。イギリスの臨床神経心理士資格はQualification in Clinical Neuropsychology: QiCN といい,イギリス心理学会により認定されている。2003年にスタートしたQiCN は,臨床心理の博士課程3年間を終了した後,臨床心理士としてHCPC に登録し,臨床神経心理学の修士に該当するDiploma を取得するなどして臨床神経心理学に関する十分な知識を持っていること,臨床神経心理学分野の十分な研究能力を有していること,臨床神経心理学の実践を行う能力が十分にあることという条件を満たすことで認定を受けられる。現在グラスゴー大学,UCL,ブリストル大学に臨床神経心理学の課程が設置されている。日本においても,臨床神経心理学の教育プログラムが充実することが期待される。
著者
岡田 謙介
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 心理学篇 (ISSN:21858276)
巻号頁・発行日
no.1, pp.91-98, 2011-03

Cronbach's alpha has been used as a golden standard reliability criterion. Although psychometricians have long been pointed out that the alpha is not the most appropriate way to examine reliability, the gap between psychometrics and psychology has impeded the application of other reliability measures. However, recently the interest has been growing many papers have published recommendations for alternative reliability measures. In this paper, we first review both classical and modern lower bounds of reliability. Then, these measures are demonstrated by the analysis of several artificial and real datasets. The results coincided with the findings of Revelle & Zinbarg (2009) in that ωt is the most recommended lower bound.
著者
中尾 暢見
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
no.4, pp.101-117, 2014-03

本稿は最初に激増する高齢者犯罪の実態を示す。暴行事件は1990年から2009年までの約20年間で52.6倍と激増している。あまりの激増ぶりに驚く人も多いであろうが、これでも氷山の一角である。なぜならば、これは検挙された数であるため被害者が警察へ被害届を出さない場合も多いからである。今まで被害者と目されてきた高齢者は、いったい何時から、どうして暴力的に豹変したり加害者となってしまったのであろうか。次にその要因として4つの言説を提示した上で検討を行う。白書や主要な研究者は1つ目の言説を支持しているが、筆者はその他に3つの言説を示す。1つ目の高齢者の孤立説では高齢者が社会と家族から孤立するメカニズムを紐解く。2つ目の犯罪コーホート説では犯罪者が多い出生コーホート(世代)を示した上でデータによる検証を行う。パオロ・マッツァリーノの言説では1941年から1946年生まれの出生コーホートを提示しているが、筆者はデータから出生年を1940年から1946年生まれへと修正提示した上で犯罪者が多いコーホートを浮き彫りにして、クローズアップされ続けた少年犯罪は減少傾向にあることを示す。3つ目の認知症説では長寿化に伴い認知機能の衰えた高齢者が増加することで、病気のために犯罪者となり再犯を重ねる傾向のある高齢者像を浮き彫りにする。そして4つ目の確信犯説では窃盗や暴力事件で警察沙汰になっても泣いて謝罪すれば許されるであろう、ボケたふり病気のふりをすれば見逃してもらえる、警察でも拘留されることなく帰宅できる、送検されても起訴猶予になる程度、地位も名誉も失うものは無いからと開き直って犯罪を重ねる悪質な高齢者の存在を示す。戦後の日本社会は、速い速度で劇的に変化を遂げてきた。変化の波乗りは、とても難しい。社会的弱者ほど波乗りに失敗したり、やり直して成功しても何度目かのチャレンジでは失敗して意欲を失って沈んでしまうこともある。溺れる人々が多いのは当該社会にとっては危険なサインである。社会政策の失敗、運用の行き詰まり、変革の必要性を示すサインでもある。加害者の処罰とその対応に追われてばかりいると、次々に新たな加害者を生み出すだけで問題の根治や解決には至らない。犯罪者を生み出さない社会づくりが必要である。高齢者犯罪が激増した要因を分析することは、今日の日本社会を照らすことになる。
著者
徐 玄九
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
no.8, pp.53-64, 2018-03

明治末期から大正期を経て昭和初期にかけて、いわゆる「第二維新」を掲げる多くの運動が展開された。日本のファシズム化の過程で結成された多くの国家主義団体は、ほとんど大衆的組織基盤をもっておらず、しかも、組織機構を整備していなかった。ごく少数の幹部が勇ましいスローガンを掲げていたに過ぎず、経済的基盤も弱かった。しかし、大本教および出口王仁三郎の思想と運動は、これまでのテロやクーデターに頼った右翼や青年将校に比べて、大衆組織力、社会への影響力という点で、群を抜いていた。そして、大本教および出口王仁三郎の運動を「天皇制ファシズム」を推し進める他の団体、青年将校らと比較した場合、決定的に違う点は、テロやクーデターのような暴力的手段に訴える盲目的な行動主義とは一線を画し、「大衆的な基盤」に基づいて、あくまでも「無血」の「第二維新」を目指したことである。出口王仁三郎が追求したのは「民衆の力を結集すること」による社会変革であったのである。
著者
大久保 街亜
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 心理学篇 (ISSN:21858276)
巻号頁・発行日
no.1, pp.81-89, 2011-03

Reaction time is used to measure various types of human performance such as perception, memory, and problem solving. Many constructs, from unconscious prejudice to intelligence to personality, can also be measured by use of reaction time. It is, therefore, fundamentally important to remove the influence of spurious long reaction time in a positively skewed distribution, which reaction time data tends to follow. The present article evaluated methods for dealing with reaction time outliers. These methods were categorized into three types : Sample selection, transformation, and whole distribution analysis. In this article, I summarized pros and cons of these methods and made suggestions for a practical reaction time analysis.
著者
中沢 仁
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 心理学篇 (ISSN:21858276)
巻号頁・発行日
no.2, pp.35-42, 2012-03

ブレイン・マシン・インターフェース技術の開発に相まって進展したブレイン・デコーディングの技術は,マインド・リーディングとしての理解も可能であり,心的機能の解明に役立つ可能性を秘めている。このブレイン・デコーディングの方法について,現行の脳活動情報の測定技術による制約,デコーディングのモデル,心理学的基盤について原理的な考察を行った。また,ブレイン・デコーディングにブレイン・マシン・インターフェースの方法を組み合わせることによる,心的機能構築のシミュレーションの可能性について考察した。
著者
高田 夏子
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 心理学篇 (ISSN:21858276)
巻号頁・発行日
no.10, pp.7-19, 2020-03-15

The main novels by Endo Shusaku's Christian themes are "White People", "Yellow People", "Sea and Poisons" "Wonderful Fool", "Silence", and then a compilation of religious views, that is "deep rivers". Endo was baptized in Japan and went to Lyon In France to study Christian writers. Studying abroad made him feel strongly that he was Japanese overseas. And that experience also led the way for novelists. It was from "silence" that he began to take up religiousness from the front, but I felt that there was some difference in the author's mental life before and after "silence". Endo had a tuberculosis operation several years before writing "Silence". I think that the experience of "Fumie" (Tools used for persecution of hidden Christians In Edo era) seen at the time of hospitalization was a kind of religious experience, and it was a turning point that would determine the direction of subsequent works. It seems like a mission to convey the image of Jesus that he reached.
著者
室井 康成
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
no.8, pp.65-105, 2018-03

2000年以降、いわゆる「荒れる成人式」問題が顕在化している。一般に成人式は、多くの日本人が加齢の過程で経験する重要な人生儀礼の一種として理解されているため、その荒廃ぶりは現代の若者の未熟さを示すものとして、しばしば睥睨の対象となっている。それは成人式が、近代まで日本各地において、15歳前後の若者に対して行なわれてきた成人儀礼「元服」の現代版として捉えられることも一因だと思うが、実は両者に連続性はない。これまで現行の成人式は、敗戦直後に埼玉県蕨市で行なわれたものが全国に普及したとする説が有力であったが、本稿の調査を通じて、それがすでに戦前の名古屋市で行なわれていたことが明らかとなり、その開催趣旨や運営方式から、そこに元服的要素はなく、あくまでイベントとして開催されていたことを確認した。翻って成人式定着以前の類例を、各地の民俗事象を手掛かりに見てゆくと、何歳を成人と見なすかという基準は、ほぼ集落単位で取り決められており、全国一律の基準などなく、またその認定時期も個人の成熟度に応じて、かなりの柔軟性を持っていたことが明らかになった。この場合の成熟度とは、男子は「親の仕事を手伝う能力」、女子の場合は「結婚可能性」であり、いずれも個人差を前提としていた。だが、そうした柔軟性を駆逐したのが、明治期の徴兵制に起源をもつ「成人=20歳」という新基準であったが、これも全国民の間で共有されたと政府が認めたのは、戦後10年を経た頃であった。逆説的だが、「成人=20歳」という認識も、戦後の官製成人式の普及によって国民の間に浸透したのである。しかし、現在では新成人の約半数は就学者であり、しかもその段階で既婚である者も少ないであろう。前代に比べて現代の若者が幼く見えたとしても、それは仕方のないことである。法の規定とは別に、成人と見なす基準は時代や個人の境遇によって変わるということは、近代の民俗史が語るところだが、そうした様々な差異を無化して、無作為に人を一堂に集めるから荒れるのであり、そこに官製成人式の限界がある。とはいえ、多くの人が経験し、しかも70年以上の歴史をもつ行事であれば、それは十分に民俗学の対象である。通常、民俗学はその対象を「保護・顕彰」すべきものとして捉えるが、本稿では、現行の成人式が民俗的根拠を欠いた意義なきものであることを論じ、その廃止を提言する。
著者
塚越 健司
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
no.4, pp.89-99, 2014-03

フランスの哲学者・思想家のミシェル・フーコー(1926-84)は、晩年に「パレーシアπαρρησiα parrêsia」という古代ギリシア語の言葉を研究していた。本稿は、パレーシアを「真理陳述=真実語りvéridiction」の一つの形式だと述べるフーコーのパレーシア研究に沿いながら、預言者の真理陳述に着目する。パレーシアとは、古代ギリシア語で「すべてを語るtout-dire」あるいは「真実を語るdire-vrai」といった意味を持つ。さらにパレーシアは常に危険を伴う言説行為であり、また語る内容を語る本人が信じていなければならない等の条件がある。本稿では第1章として、フーコーが語った真理陳述としてのパレーシアが、古代ギリシアのアテナイ民主政社会においてその機能を健全に維持するための、一種の社会的装置であったと解釈する。第2章では、フーコーが直接語らなかった古代イスラエル社会における預言者の「真理陳述」の形式について、預言者に関する先行研究を参照することで、それが神との契約を想起させる社会的装置であったと解釈する。第3章では、預言者の言説がパレーシアとどのように異なるのかについてフーコーの主張を確認する。さらにフーコーが残した仮説から、古代イスラエルの預言者の真理陳述の形式が、現代ではパレーシアの形式と混合し、「預言的パレーシア」として名付けることができることを確認する。最後に、預言的パレーシアという真理陳述の形式が革命家の言説として、現代にも引き継がれていることを確認する。
著者
マイ・ティ・カイン・フエン
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.73-88, 2017-03-15

日本の農村地域は国全体の高齢化を20年ほど先取りして既に超高齢社会になっている。したがって、21世紀の日本の高齢化社会のなかで、農村地域における高齢者の生活が維持できるかどうかは、深刻な問題となっている。こうした状況のなかで、2000年4月に介護保険制度が施行された。社会保険公式の導入、「措置」から「契約」の移行、民間事業者の参入などにより日本の高齢者福祉システムは大きく変化してきた。それは、介護サービス利用者が多様なサービスを選択し、利用できるようになったことである。このような制度のもと、山形県最上郡戸沢村と長野県小県郡旧真田町(現在の上田市真田町)での事例を通して、本稿の目的は、(1)農村・農家での要介護高齢者への家族介護について、(2)高齢者介護と農業生産との相互の関係性、(3)介護サービス利用後の高齢者生活の変化等、三つの点を明らかにすることである。さらに、その分析を踏まえたうえで、介護保険制度の導入によって発生する問題を検討するとともに、農村地域における要介護高齢者と主介護者の生活の質を高めるための課題を探ることである。
著者
斉 穎賢
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
no.1, pp.107-117, 2011-03

本稿は、これまでの先行研究で明らかになった、モンゴル社会における伝統的家族・父系親族の特徴が、①父系原理によって構成された血縁関係からなる氏族的集団、②家父長的小家族が単位、③族外婚、④複数の相続があり、女子の相続も小部分あるが、主に男子相続であり、特に「末子相続」であることを整理し、「小家族」と「末子相続」に焦点を当てて、これまで先行研究が見落としてきた点、つまり、①なぜ小家族が単位なのか、②なぜモンゴル社会は末子相続なのかを再検討し、明らかにするのが目的である。研究方法として、文献・資料を検討の上で、比較的伝統的であったモンゴル社会に生まれ育った経験を生かしながら、現在の生活の中での家族・親族関係を踏まえて、内側から、モンゴル社会における家族・父系親族の現象をとらえるだけでなく、その現象の持つ主な特徴の「意味」を探った。その結果、①モンゴル小家族は、遊牧的経済だけが要因ではなく、モンゴル人が、子どもを結婚させて、「独立」させることを、親の基本的な「義務の達成」とし、それを子供の「1人前の成人」であるという概念と、「親族間の軋轢」を避けるという観念と緊密に関連している。②モンゴル相続の発生は親の死後ではなく、子の「結婚・独立」時に発生しており、「平等である」という親の「判断基準」に基づき、諸子に財産を分割しているのが実態であり、しかも、「末子相続」慣行であっても、他の民族の「長子相続」のような「1人の子どもが死者の財産を排他的に継承する一子相続のパターン」ではない。③モンゴルの「末子相続」慣行は、明らかにモンゴルの「小家族が単位」と関連しており、上の兄弟たちが、次々と独立していった結果は、末子が親の扶養をすることになる。しかし、親の扶養が問題にならなかったから、法制度的な規定がなかったことになる。④農耕化したモンゴル社会における事例から、「末子相続」の慣行は、遊牧或は農耕のような経済的形態が主因でなく、「イエ」や「家族」をどう見るかという「観念」によるいという内藤莞爾説が実証されたことになる。
著者
庄司 俊之
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
no.5, pp.99-112, 2015-03

大阪の釜ヶ崎で日雇い労働者や路上生活者たちの支援活動を行っている修道女、大野晶子さんにライフヒストリーを聞いた。最初に現在の釜ヶ崎の状況、その変貌する様子をどのように見ているかを説明してもらい、ついで、どのような過程をへて釜ヶ崎での活動に携わるようになったのか、自身の前半生について語ってもらった。1927年生まれ。釜ヶ崎の危機的状況については原発労働者や監視カメラなど、硬質な言葉で表現した。それに対して出身地で幼少期にみた光景について聞くと、戦前の神戸がいかに国際色豊かだったかを語ってくれた。この原体験としてある多様性への感覚は、現在の危機意識と鮮やかにコントラストをなしていた。また、大正ロマンを生きたという両親からは「キリストに従うこと」や「慈善のわざ」を受け継いだ。しかし両親は、おんなは結婚して夫の家の宗教にしたがうべきとする伝統的な考えをもち、娘の入信には反対したという。これを押し切るかたちで家を出て修道院に入り、第2バチカン公会議における「現代化」の思想や労働運動に携わっていた弟から「キリストの生き方」を学ぶなどしながら、やがて定年間近の年齢になって「つぎの段階へすすむ」ために大きな修道院を出て小さな共同体を生きることを考えるようになった。そのとき短期の研修として赴いた先のフィリピンでの経験こそ、彼女が釜ヶ崎で活動するようになる大きなきっかけとなった。以上の事例研究は、たとえば福祉活動に携わるアクターの諸類型を比較研究する際の有益な材料のひとつにもなりえるし、また、福祉の思想や宗教思想を掘り下げようとする際にも有効な示唆が得られるはずである。
著者
広田 康生
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.141-154, 2012-03-15

本論で筆者は、「日本人のグラスルーツ・トランスナショナリズムと場所」研究が、移動にかかわるさまざまな「生の物語」が展開する「都市的世界」の認識と、都市社会学的研究領域の一つとして、「閉塞的なナショナリズム」とは一線を画する「多様性と統合」「アイデンティティと場所」を探求するテーマ領域であることを確認し、研究の指針と構成を示す。上記の課題を実現するため本稿では、都市コミュニティ論特に奥田都市コミュニティ論が都市社会学に提起した課題としての秩序研究から「下からの都市論」構想―「民族・エスニシティ、階級・階層、ライフスタイル、宗教・文化その他の系統の差異性を伴い相互に複雑にばらつき」ながら、「意味創造的側面」を発揮する都市の研究―に至る研究道程を追いながら、筆者らの都市エスニシティ論はそれをどのように受け止め、トランスナショナリズム論とどのように接合したかを振り返り、その課題を展開する一つの試みとしての「日本人のグラスルーツ・トランスナショナリズムと場所」研究の意味を明らかにする。
著者
伊藤 史朗
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
no.9, pp.27-43, 2019-03

本研究は、在日フィリピン人のホスト社会に対する社会的距離と逆社会的距離の度合いを分析したものである。エモリー・S・ボガーダス(Bogardus 1933)が考案した社会的距離尺度(Social Distance Scale)とリー、サップとレイ(Lee, Sapp and Ray 1996)による逆社会的距離尺度(Reverse Social Distance Scale)を用い、主に首都圏在住の在日フィリピン人71人の当事者意識を分析した。本調査の結果から以下が明らかとなった。1)在日フィリピン人の日本人に対する社会的距離の度合いは総じて低い。在日フィリピン人の日本人に対する親密度が高いことを意味する。2)9割以上の回答者が、日本社会から概ね受け入れられていると感じている。3)同国人(フィリピン人)間とのソーシャル・ネットワークが日本人に対するそれよりも強い。同国人との強靭なソーシャル・ネットワークを形成・維持しつつ、それが反作用することなく、低い社会的距離の度合いを示した。母国、同国人とのネットワークを堅牢に維持する一方、閉ざされたエンクレーブを形成していない。「適応すれども同化せず」(広田 2003)の「非同化的適応」の姿勢を維持し、ホスト社会に対して高い親密性を持っていることを示す調査結果となった。今後、課題になるであろう「構造的統合」に対しどのような姿勢を持つのかが、ホスト社会の側に問われることになる。
著者
矢崎 慶太郎
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.137-148, 2014-03-15

本論では、芸術についての社会学理論を概観するために、基本的なアプローチを4つに区分して考察する。まず第一に芸術を道徳や経済などの「社会の反映」として示すコント、マルクス、第二に、芸術を社会と対立する関係にあるものと見なし、「社会の外側」にあるものとして扱うアドルノおよびゲーレン。第三に、芸術は社会的な反映ではないが、政治や経済と同様に、社会制度のひとつであり、「社会の内側」に属するものとして扱うベッカー(アート・ワールド)、ブルデュー(芸術場)、ルーマン(芸術システム)。第四に、芸術そのものを社会の原型として見るジンメル、および芸術がどのように他の社会領域に影響を与えているのか、という視点から芸術と経済との関係を研究するアプローチを取り上げる。これらの4つのアプローチを取り上げながら、芸術をどのように社会的な現象として扱うことができるのか、および芸術の社会学的研究にはどのような意義があるのかについて明らかにする。
著者
徐 玄九
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.53-64, 2018-03-23

明治末期から大正期を経て昭和初期にかけて、いわゆる「第二維新」を掲げる多くの運動が展開された。日本のファシズム化の過程で結成された多くの国家主義団体は、ほとんど大衆的組織基盤をもっておらず、しかも、組織機構を整備していなかった。ごく少数の幹部が勇ましいスローガンを掲げていたに過ぎず、経済的基盤も弱かった。しかし、大本教および出口王仁三郎の思想と運動は、これまでのテロやクーデターに頼った右翼や青年将校に比べて、大衆組織力、社会への影響力という点で、群を抜いていた。そして、大本教および出口王仁三郎の運動を「天皇制ファシズム」を推し進める他の団体、青年将校らと比較した場合、決定的に違う点は、テロやクーデターのような暴力的手段に訴える盲目的な行動主義とは一線を画し、「大衆的な基盤」に基づいて、あくまでも「無血」の「第二維新」を目指したことである。出口王仁三郎が追求したのは「民衆の力を結集すること」による社会変革であったのである。
著者
庄司 俊之
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 社会学篇 (ISSN:21863156)
巻号頁・発行日
no.9, pp.107-115, 2019-03

今日、死生観といえば死の問題に関心が集中し、「食べること」については殆ど問われることがない。社会学では「食べること」を多様なやり方で論じてきたが、正面から「食べること」を扱う連辞符社会学は成立していない。このような問題領域である「食べること」について、この研究ノートでは、いくつかのトピックにコメントを加えながら、問題の構図について大まかなデッサンを提示してみたい。ここで扱うのは、捕鯨/反捕鯨の対立と戦場のカニバリズム、そして断食である。後2者については文芸作品を素材とし、本稿後半では「食べないこと」に焦点をあてる。