著者
織田 隆三
出版者
社団法人 全日本鍼灸学会
雑誌
全日本鍼灸学会雑誌 (ISSN:02859955)
巻号頁・発行日
vol.33, no.4, pp.427-430, 1984-03-01 (Released:2011-05-30)
参考文献数
5
被引用文献数
1

目的: モグサはその歴史, 製法, 原料などに関して不明な点が残されているので, これを明らかにしたいと考えた。方法: 今回はモグサの主産地を訪ずれ, 実際行われている製造工程および原料用ヨモギについて調査した。結果: 現在の製法は石臼による粉砕, 篩過, 唐箕による精製の工程からなっている。原料は新潟, 富山, 石川県産のものは大部分がヨモギ (Artemisia princeps Pamp.), 一部がオオヨモギ (ヤマヨモギ) (A. montana Pamp.) であることを確めた。なお滋賀県のものはすべてヨモギと推定した。
著者
織田 隆三
出版者
社団法人 全日本鍼灸学会
雑誌
全日本鍼灸学会雑誌 (ISSN:02859955)
巻号頁・発行日
vol.35, no.1, pp.66-72, 1985-06-01 (Released:2011-05-30)
参考文献数
14

目的: モグサの産地として古来有名な伊吹山は滋賀県と栃木県の二ヶ所にあるので両者の関係を究明しようとした。方法: 歴史に登場する二つの伊吹山・現地の状況, 伝承, ヨモギ等について検討した。結果: 1) モグサの名所として平安時代に有名だった伊吹山は栃木の方で, 滋賀の登場は安土時代以降である。2) 伊吹のヨモギは栃木・滋賀ともそれぞれ特長を持ち他所にはないとされていた。3) 二つの伊吹山にはそれぞれシメジガ原と呼ばれる土地があり, 双方に似かよった仏教伝説がある。考察: モグサの産地として最初有名になったのは栃木の伊吹山である。その後滋賀の伊吹山へ移るが, その蔭に山岳仏教が介在していたように思われる。江戸時代に至って滋賀は隆盛をきわめるが栃木は衰退した。
著者
織田 隆三
出版者
社団法人 全日本鍼灸学会
雑誌
全日本鍼灸学会雑誌 (ISSN:02859955)
巻号頁・発行日
vol.49, no.2, pp.283-291, 1999-06-01 (Released:2011-03-18)
参考文献数
14
被引用文献数
1

わが国のモグサ主産地は江戸初期には岐阜・滋賀の二県だったが現在は新潟県である。この主産地変遷の過程や理由を明らかにしたいと考えこの研究を行った。江戸期については前回報告したので今回は明治以降 (1868~1998年) の分を報告する。1870年代には富山県が国内最大の産地だった。福井・新潟・石川三県がこれに続いていたが1930年前後には新潟県が日本一になっていたようである。現在高級モグサはほぼ百%新潟県で造られている。富山、滋賀両県でも造るが極めてわずかである。昭和の一時期長野・愛媛・福島・群馬県や北海道でも製造されたが今は途絶えている。新潟県が主産地になった理由は (1) 原料用ヨモギが豊富且つ良質であること、 (2) モグサの製造は冬季に行うが新潟では冬に人手が得やすく人件費が安いことの二点である。
著者
織田 隆三
出版者
社団法人 全日本鍼灸学会
雑誌
全日本鍼灸学会雑誌 (ISSN:02859955)
巻号頁・発行日
vol.48, no.4, pp.371-380, 1998-12-01 (Released:2011-03-18)
参考文献数
23
被引用文献数
1 1

江戸時代のモグサ主産地は近江 (滋賀県) と言われていたが現在の主産地は新潟県 (越後) である。この主産地変遷の過程や理由を明らかにしたいと考えこの研究を行った。図書館・県市町村史編纂室・地方史研究者・モグサ業界関係者等を歴訪し、地方史・古文書の閲覧、伝承の聞き取り等を行い、また書面によって照会した。その結果江戸の初期は近江と共に美濃 (岐阜県) が主産地だったこと、ついで北陸地方 (福井・富山・石川県) に伝わり、天保の頃 (1830年代頃) には越後 (新潟県) でも生産されていたことが明らかになった。また伊予 (愛媛県) や筑紫 (福岡県) でも造られていたことを知った。主産地が北陸地方へ移動した主な理由は、1.原草のヨモギ類が豊富なこと、2.モグサ製造は冬に行うが北陸の冬は雪のため仕事が少なく人手が得やすいことの二つである。
著者
織田 隆三
出版者
社団法人 全日本鍼灸学会
雑誌
全日本鍼灸学会雑誌 (ISSN:02859955)
巻号頁・発行日
vol.46, no.2, pp.85-90, 1996-06-01 (Released:2011-05-30)
参考文献数
6

搗き臼や水車は現在のモグサ工場ではみられないが, 昭和時代まで各地で使用されていた。これら消滅して行く機械装置を記録に残しておきたいと考え, 昔の工場関係者から話を聞き, 現地を訪れ, 文献を調べた。木島モグサ工場の水車は直径3.6mだったが亀屋佐京商店の水車は直径約5mあり30馬力と称され, モグサ生産量は日本一と言われていた。木島の搗き臼はケヤキで造られ, 臼は直径48cm深さ23cm, 杵は長さ280cmの柱状で一辺は11.5cmだった。関原モグサ工場は天保の頃 (1840年前後) の創業と伝えられているが, 昭和期における機械設備は木島モグサ工場と大体同じであった。
著者
織田 隆三
出版者
社団法人 全日本鍼灸学会
雑誌
全日本鍼灸学会雑誌 (ISSN:02859955)
巻号頁・発行日
vol.45, no.4, pp.263-268, 1995-03-01 (Released:2011-05-30)
参考文献数
6

モグサの製造には原料のヨモギ又はオオヨモギを7~8月に採集し, 直ちに葉を取り, 3~4日間直射日光で乾燥する。工場では更に80°~170°の乾燥室で火力乾燥を行い, 含水率を1~2%以下とする。乾燥した葉は荒砕きした後, 石臼にかけるが, 荒砕き機は農業用脱穀機に似た高速回転装置が主に用いられる。原草の採集からモグサの出来上るまでの全工程をまとめ, 一覧表として示した。採集した生の葉に対するモグサの収得率は最高級品で0.5~0.6%, 最下級品では3~8%であって, この中間に各等級品が分布する。(乾燥葉に対しては最高級品3.0~3.5%, 最下級品では約20~50%となる。)
著者
織田 隆三
出版者
社団法人 全日本鍼灸学会
雑誌
全日本鍼灸学会雑誌 (ISSN:02859955)
巻号頁・発行日
vol.45, no.2, pp.129-134, 1995-06-01 (Released:2011-05-30)
参考文献数
2
被引用文献数
1

高級モグサを製造するとき最後の精製を行う装置が唐箕である。モグサ用唐箕は農業用唐箕とは異った構造の特殊な装置である。主要部分は, 高速度で回転する羽根車, 羽根車を取り囲む大きな円筒状の竹の箕及びこれを納める木製の箱型構造体から出来ている。粗製モグサを唐箕に入れ, 羽根車を1分間70~120回の高速で回転すると不純物は簀の間隙から外へ排出され, 簀の内部には高級モグサが残る。通常は先ず一番目の唐箕で粉状の不純物を大体除き, 二番目の唐箕で精製を仕上げる二段階方式をとる。所要時間は3~8時間であるが, 条件によっては更に増減がある。
著者
織田 隆三
出版者
社団法人 全日本鍼灸学会
雑誌
全日本鍼灸学会雑誌 (ISSN:02859955)
巻号頁・発行日
vol.45, no.2, pp.123-128, 1995-06-01 (Released:2011-05-30)
参考文献数
8
被引用文献数
1

モグサの製造工程を大別すれば 1. 石臼による粉砕, 2. 篩による不要部分の除去, 3. 唐箕による精製の3工程からなる。今回は2番目の篩過について報告する。現在モグサ製造用に主として使われているのは円篩 (まるどおし) と呼ばれる円筒形の回転運動を行う篩である。この篩は金網と竹の簀から構成されたモグサ業界独特のものであって直径50~80cm, 全長1.5~4.0m, はじめの約3/4が金網, 後方約1/4が竹の簀である。回転の速度は15~30r.p.m. である。出口は入口に対してやや低く, 3°~7°のゆるやかな傾斜がつけられている。水平に往復運動を行う通常の振動型篩も補助的に併用される。なお現在の形態の篩がモグサ業界で使用されるに至った経緯に関する史的調査も併せて報告する。
著者
織田 隆三
出版者
社団法人 全日本鍼灸学会
雑誌
全日本鍼灸学会雑誌 (ISSN:02859955)
巻号頁・発行日
vol.43, no.3, pp.135-141, 1993-09-01 (Released:2011-05-30)
参考文献数
2
被引用文献数
1

モグサの製造に用いる石臼について調査し, 実態の概要を知ることが出来た。すべての工場は「ひき臼」を用いている。この臼の大きさは直径約70cm, 厚さは上臼下臼とも各20cm前後である。臼の面は6分画とし各分画に6~7本の溝を刻んでいるものが多い。回転は1分間30~50回である。下級モグサの製造には1回, 高級品では2回又は3回反覆して石臼にかて粉砕後次の工程 (筋過) に移る。モグサ用石臼の原石は新潟県糸魚川市の早川から産出する角閃石安山岩又は紫蘇輝石角閃石安山岩である。なお文献にもない特殊な形態の石臼を使っている工場があったので併せて報告する。