著者
芝田 豊彦
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.82, no.1, pp.47-70, 2008-06-30 (Released:2017-07-14)

田辺の<死の哲学>は、他者としての死者を対象としている点で画期的な意義を有する。しかしながら田辺の<死の哲学>の問題点として、<絶対無の働き>と<死復活という行>との不可逆の関係が曖昧なこと、および死者が絶対無にどのような仕方で入れられているのかが不明であること、この二点を指摘できる。フランクルの「過去存在」の思想では、人生における人間のすべての営みが過去存在として永遠に保存される、と主張される。滝沢においては、死者は過去存在として絶対無に入れられており、フランクルとの大きな類似が見出される。滝沢の思惟の根底には常に「神人の原関係」があり、「死ぬ」ということも神人の原関係から、或は神の空間(絶対無)から脱することなどではあり得ない。死者を絶対無における「過去存在」として捉えることによって、死者と死者の記憶は区別され、さらに幽霊現象も視野に入り得るのである。最後に幽霊現象を扱ったベルゲングリューンの珠玉の短編が紹介される。
著者
芝田 豊彦
出版者
関西大学出版部
巻号頁・発行日
2007-03-20

第1章 ゾイゼにおける「放下」と「キリストの形」について .............. 1 ― 道元、一遍との比較 ―第2章 ルター聖書における Klarheit ............................................. 31 ― 由来と18世紀の用法 ―第3章 ゴットフリート・アルノルトとソフィア神秘主義 .................... 67第4章 ドイツ・ヘッセン地方の敬虔主義における雅歌 ....................... 93 ―フィラデルフィア運動と「私の自由意志の民」―第5章 エーティンガーとヘルダーリンにおける万物和解説 ................. 125第6章 ヘーゲルとエーティンガーにおける「生」の思想 .................... 149 ― ヘルダーリンとの関連で ―第7章 ヘルダーリンの『ヒュペーリオン』におけるGeistの用法 .......... 181第8章 ヘルダーリンのキリスト讃歌におけるGeistの用法 ................... 207第9章 テオドル・イェリングハウスにおける「聖化」の諸問題 ............ 233第10章 キルケゴール、バルト、滝沢の神学 ..................................... 255 ― 神学と哲学の関係について ―
著者
芝田 豊彦
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.82, no.1, pp.47-70, 2008-06

田辺の<死の哲学>は、他者としての死者を対象としている点で画期的な意義を有する。しかしながら田辺の<死の哲学>の問題点として、<絶対無の働き>と<死復活という行>との不可逆の関係が曖昧なこと、および死者が絶対無にどのような仕方で入れられているのかが不明であること、この二点を指摘できる。フランクルの「過去存在」の思想では、人生における人間のすべての営みが過去存在として永遠に保存される、と主張される。滝沢においては、死者は過去存在として絶対無に入れられており、フランクルとの大きな類似が見出される。滝沢の思惟の根底には常に「神人の原関係」があり、「死ぬ」ということも神人の原関係から、或は神の空間(絶対無)から脱することなどではあり得ない。死者を絶対無における「過去存在」として捉えることによって、死者と死者の記憶は区別され、さらに幽霊現象も視野に入り得るのである。最後に幽霊現象を扱ったベルゲングリューンの珠玉の短編が紹介される。Es ist sehr bemerkenswert, dass es sich in Tanabes ,,Todesphilosophie" um die Toten als Andere handelt. Aber in seiner "Todesphilosophie" ist es nicht deutlich, in welchem Verhaltnis das "Shi-hukkatu" (das Sterbe Auferstehen) des Selbst zu dem Wirken des Absoluten Nichts steht und in welcher Weise die Toten zum Absoluten Nichts gehoren. Bei V. E. Frankl und K. Takizawa wird es behauptet, dass alle Werke eines Menschen als "Vergangen-sein" ewiglich im Protokoll der Welt (Frankl) oder im Raum Gottes (Takizawa) aufbewahrt sind. Es gibt also hierin eine grosse Ahnlichkeit zwischen Frankl und Takizawa. Takizawas Denken wird immer im Grunde vom Urverhaltnis zwischen Gott und Mensch bestimmt. Auch wenn ein Mensch sturbe, konnte er sich nach Takizawas Theologie nicht aus dem Urverhaltnis oder dem Raum Gottes herausziehen. Im Gedanken des "Vergangenseins" konnen die Toten vom Gedachtnis der Toten unterschieden werden, und ausserdem konnte man nuchtern sogar den Spuk als eine Erscheinung der Toten behandeln. Zum Schluss wird eine Spukgeschichte von W. Bergengruen vorgestellt.http://ci.nii.ac.jp/naid/110006792648