著者
花井 滋春
出版者
東北福祉大学
雑誌
東北福祉大学研究紀要 = Bulletin of Tohoku Fukushi University (ISSN:13405012)
巻号頁・発行日
no.44, pp.1-20, 2020-03-19

これまで、橘長盛、直幹、忠幹等の生没年については、忠幹の没年を除いては長い間、未詳とされてきた。しかし、本稿では、兄直幹の申文から、父・長盛の没年を延喜十六(九一六)年、兄・直幹の誕年を昌泰元(八九八)年に特定することでき、そこから拾遺集忠幹歌の詠歌時期が延喜十六年頃もしくは天暦九年頃の二期、つまり忠幹の十代後半もしくは五十代半ばである可能性を指摘することができた。 この所詠時期に年齢を当て込み、且つ拾遺抄・集の詞書を検討する時、当該歌が巷間に歌語りされて伊勢物語に取り込まれたとする従来の考えが必ずしも妥当性を持たないことが明らかになる。かくして、拾遺抄・集から伊勢物語へ、あるいは忠幹周辺の限られた情報源から伊勢物語へという経路を再考する必要が生まれることとなる。
著者
花井 滋春
出版者
東北福祉大学
雑誌
東北福祉大学研究紀要 = Bulletin of Tohoku Fukushi University (ISSN:13405012)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.1-20, 2020-03-19

これまで、橘長盛、直幹、忠幹等の生没年については、忠幹の没年を除いては長い間、未詳とされてきた。しかし、本稿では、兄直幹の申文から、父・長盛の没年を延喜十六(九一六)年、兄・直幹の誕年を昌泰元(八九八)年に特定することでき、そこから拾遺集忠幹歌の詠歌時期が延喜十六年頃もしくは天暦九年頃の二期、つまり忠幹の十代後半もしくは五十代半ばである可能性を指摘することができた。 この所詠時期に年齢を当て込み、且つ拾遺抄・集の詞書を検討する時、当該歌が巷間に歌語りされて伊勢物語に取り込まれたとする従来の考えが必ずしも妥当性を持たないことが明らかになる。かくして、拾遺抄・集から伊勢物語へ、あるいは忠幹周辺の限られた情報源から伊勢物語へという経路を再考する必要が生まれることとなる。