著者
莊 卓燐
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.128, no.2, pp.36-59, 2019 (Released:2021-08-26)

漢初において、高祖皇帝劉邦は近臣との関係を保つために、「符を剖かち、世々絶ゆる勿し」の約束を交わしたが、伝世史料には符の正体について明記されていない上、諸家の注にも検証されることがない故、約束の内容は不明確である。従来では、この符を功臣の特権的な地位の永続(封爵之誓)と関連させて考えるが、本稿では西北簡の研究成果を踏まえ、通行証としての符を伝世史料の条文に当てはめて考える。 第一章では、戦国から漢初までの中華世界の地域観念の変遷を考察し、秦の「統一」、楚(項羽)の封建制の復活、漢の郡国制、一連の流れを整理し、戦国~漢初における地域観念の連続性を指摘し、符の通行証としての理解の適用範囲を確認する。 第二章では、漢初における諸侯王との剖符を考察する。楚漢戦争の中で、漢は同盟する諸王国を警戒すべく、符を用いて東西を繋ぐ関所の弛緩を掌握した。その体制は、漢帝国が都を檪陽から長安へ遷しても継承され、関中地域の地理的優勢を活かし続けたと考えられる。 第三章では、漢初における列侯との剖符を考察する。漢初の支配領域の拡大および支配体制の維持に対応すべく、漢は列侯を対象に剖符する措置を施す。その中には、「符を剖かち、世々絶ゆる勿し」の条文が示すように、自由に関中地域を出入りする特権を永続的に所持する特殊な剖符事例が見られる。 第四章では、『里耶秦簡』と『張家山漢簡』を手掛かりに、列侯と徹侯との改称事情を整理し、中国古代社会における流動性の変化を指摘する。 中国古代帝国は、地域と地域との移動が厳しく規制される環境であった。人間の移動を規制する国家意志は、専制権力の形成に影響する。その下で、移動規制を解除する符は、単純に通行証としての機能を果たしたのみではない。信頼関係に基づく通行許可は、人と人の絆を深め、漢皇帝による符の下賜は功臣たちとの人的結合関係を維持する役割を持つと論じる。