著者
薗田 碩哉
出版者
実践女子大学
雑誌
実践女子短期大学紀要 (ISSN:13477196)
巻号頁・発行日
vol.33, pp.25-37, 2012-03-19

何かをするための余暇ではなく、私という存在の根源に帰ることのできる余暇という時間を得ること、そこに自由の出発点がある。そしてこの自由によって私たちは現実にある「しがらみ」から離れた別種のコミュニケーションを生み出し、新しい「つながり」を紡ぐことができる。政治とは人々の多様なつながりを組織することであり、それによって社会を改良することである。しかし、先進国でもっとも低水準の余暇しか持ち合わせない日本人は、貧弱な政治組織に低迷せざるを得ない。より良い社会を作るために多忙からの解放が必須である。余暇は祈りや瞑想を通じて、生きることの意味や世界のあり方に思いを巡らすことのできる時間ともなる。労働と生産を追い求めた産業社会の行き詰まりに直面して、私たちは余暇に力点を置いた生活と社会を構想し直さなければならない。未来への希望は余暇にこそある。
著者
薗田 碩哉
出版者
実践女子大学
雑誌
実践女子短期大学紀要 (ISSN:13477196)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.21-34, 2010-03-20

現在の日本社会の特徴はコミュニティの衰退にある。それは不揃いな街並みを見れば一目瞭然であり、近隣関係の貧弱さや地域の教育力、福祉力の低下となって現れている。それはまた、子どもたちの社会化を妨げ、独居老人の孤独死をもたらしている。これからの課題はコミュニティ意識を取り戻し、それを基盤に地域の商業や文化活動やレクリエーションの活性化を図ることである。そのために大学が果たす役割も決して無視できない。短大や地域での筆者の活動を踏まえながら、これからの社会でコミュニティの果たす役割を検討する。