著者
薩摩 真介
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.129, no.2, pp.1-36, 2020 (Released:2021-09-09)

英西間の一七三九年のジェンキンズの耳戦争に対しては、ウォルポール政権を批判する野党のプロパガンダ・キャンペインとそれに煽られた世論が引き起こした戦争という見方が早くから存在した。そのため、スペインの沿岸警備隊によるアメリカ海域でのブリテン商船拿捕問題などをめぐるこの時期の政治的論争も、しばしば戦争原因の探求という文脈の中で扱われてきた。また近年では、ウィルソンの研究のように、議会外集団の政治参加のあり方を探る政治史的観点からも分析されている。しかし、本論文ではこの時期の議論を、近年の財政軍事国家論の進展を踏まえ、十八世紀半ばのブリテンにおける軍事力、とくに海軍力の行使を正当化ないし批判するロジックの解明という新たな観点から分析する。 使用した主な史料は、新聞・パンフレット類などの出版物、および議会討議録であるコベット『議会史』である。本論文ではこれらを用いて、拿捕問題が議会で論じられ始めた一七三七年から、ジェンキンズの耳戦争がオーストリア継承戦争に合流する四〇年末までの時期について、従来十分検討されてこなかった政権側の議論も含め、また議会外の出版物と議会内の議論も照合しつつ、政治的言説の内容と変化を精査した。 分析を通じて明らかになったのは以下の点である。すなわち、与野党双方ともスペインとの戦争を正当化ないし批判するに際し、商業利害を中心としながらも、それに留まらない地主層を含む幅広い経済的利害の擁護を主張の根拠として援用していたこと、陸軍と異なり海軍自体は批判の対象にはならなかったものの、コストに見合うその有効な活用法をめぐって、政権の「腐敗」とも結び付けられて批判が展開されていたこと、そして政権側の反論を封じる過程で、野党側が「航海の自由」を通商国家ブリテンにとっての妥協の余地なき権利として祭り上げ、さらに開戦後には、それが政権側によっても戦争の大義名分として主張されるに至ったということである。