著者
藤澤伸介
雑誌
日本教育心理学会第60回総会
巻号頁・発行日
2018-08-31

問題と目的 葉状図形とは,正方形に内接する2つの四分円弧に囲まれた2頂点図形のことで,「正方形の面積×0.57」を暗記して求積問題に対処する抜け道指導が小学生になされていることが問題視されている。藤澤(2002a,2002b)で指摘されている「ごまかし勉強」を促す指導になっているためだ。藤澤(2017)では,高校生になっても0.57指導の影響は強く残っており,その記憶が概念の意味理解や円滑な問題解決思考の働きを抑制している可能性が示されている。記憶に思考抑制効果があるとすれば,指導直後はさらに抑制効果が大きいであろう。 本研究では,藤澤(2017)で使用されたのと同一課題を中学入学直後の1年生に与え,高校生より大きな抑制現象が見られるかを調査した。方 法 首都圏にある私立の中高一貫校(入試Aランク校:藤澤(2017)の調査対象校と同一)の中1男子86名を対象に,1辺8cmの正方形に内接する葉状図形の面積を,設問(1)π≒3.14,設問(2)π≒3.142に場合分けして計算させる出題の質問紙調査をし,解法を分析した。(解答時間は約10分である。)実施に当たっては結果が成績評価に影響しないことを対象者に伝え,無記名用紙を使い,調査者には本人特定が一切不可能な体制にした。結 果 数学的解法は,円周率をπとし一般式32π-64を導出した後,πに2種の円周率を順に代入すればよい(モデル化型)。或は2題の解法が同一なので,片方の計算過程を利用して,他方の異なる部分の計算だけを行っても解が求められる(数値利用型)。更にモデル化を一切考えずに,2設問を別問題と考え,個々に初めから数値を順に計算して解を求める方法もある(算数解答型)。この3タイプが正攻法である。 86名中正攻法による解答は,70名(81%)であったが,そのすべてが算数解答型で他の2タイプは存在しなかった。 本調査で設問(1)をπ≒3.14とし,設問(2)をπ≒3.142にしてあるのは「正方形面積×0.57」という便法が適用できない時に,どう対処するかを見るためである。 正攻法ではない「正方形の面積×0.57」の利用者は16名(19%)であり,設問(1)はその全員が正解であったが,π≒3.142の設問(2)は,11名が正攻法で正解になり,5名は正しい解法に辿り着かず不正解となった。この5名の内訳は,3名が空欄で,2名は設問(1)の数値と全く掛け離れた数値を解答していた。考 察 藤澤(2017)に示された,同一問題に対する同一学校の高校生の結果と比較すると,「正方形の面積×0.57」の利用者は高校生の場合,85名中6名(7%)であるから,中学生の方が多く利用していることがわかる(百分率の検定:1%水準で有意差あり)。入学直後であるため,指導影響がそれだけまだ強く残っているということである。 設問(1)を0.57を利用して解いた16名のうち5名が設問(2)を解けなかったことは,どう解釈すべきだろうか。可能性としては,(a)葉状図形求積問題は難問のため,0.57が利用できる(1)だけ解答した。(b)難問ではないのに,0.57利用習慣が思考を抑制し,解けるはずの(2)が解けなかった。の2つが考えられる。0.57の数値を暗記させる指導は,必ずしも受験生の全員が受けているわけではないにもかかわらず,(1)の問題は81%の70名が正攻法で解いていることを考えると,(b)の思考抑制の確率が高いであろう。 ごまかし勉強を誘発するテスト出題や指導は依然として衰えておらず,0.57を意味なく暗記させる指導はその最たる例である。試験を乗り切る指導に悪影響はないと便法指導者達は主張するが,この数値暗記によると考えられる思考抑制現象は受験後も残るのである。便法指導を行う教育は,意味理解を軽視した学習観を植えつけやすいので要注意である。0.57=π/2-1を利用して0.571を導き,解答した答案もあったが,こうできるような指導なら0.57でも問題はないのである。
著者
藤澤 伸介
出版者
一般社団法人 日本教育心理学会
雑誌
教育心理学年報 (ISSN:04529650)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.158-167, 2003-03-30 (Released:2012-12-11)
参考文献数
52

1999年後半から,「学力低下」が国民的関心事となった。学習指導要領の改訂と関連して, 初めのうちは「ゆとり教育推進派」対「基礎学力徹底派」の対立として議論が展開しそうになったが, 教育心理学者の働きかけもあり, 現在は比較的多面的な認識が世論の主流を占めているように見える。教育心理学の立場からは, これまで教育観に含まれる誤概念が数々指摘されており, これが日本の教育を変質させて学習の質的低下を招き, 学力が低下してきている可能性を見てとることができる。そこでは, 自己を成長させるはずの学習が単なる「労役」と化し, 学習者に意義の感じられないものとなり, 学びからの逃走が発生しているのである。教育心理学の「実践化」の動きとして, 学習の質的向上への働きかけが直接学習者になされ, 教育の質的向上を目指した試みが教員養成活動としてなされている。その他学校への働きかけまで含めると, 教育心理学の「実践化」は加速している。