著者
谷口 博香
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100094, 2016 (Released:2016-04-08)

グローバル化の中で、国境を越えた人口移動が盛んに行われ、移民の存在とその処遇はすべての国家において重要な課題となっている。人文地理学の移民研究では、1980年代以降移民のエスニシティとエスニックな空間に注目した研究が数多く行われてきた。しかし、日本においては1990年以降になってようやく研究が進められている段階であり、まだ十分な展開が見られない。 本研究では、1980年代後半以降に「アジア系労働者」として来日した東京都周辺に在住するバングラデシュ人たちの日常生活の一端にアプローチした。1990年代の研究との比較により、現在日本で生活するバングラデシュ人国内の出身地、年齢、家族・友人関係、社会階層といった個人が持つ背景や彼らのネットワークがどのように変化したのか。そして在日バングラデシュ人のエスニック空間が、移民自身の戦略や葛藤、ホスト社会の権力関係等と絡みながらどのような形で生成されているのか、それは移民とホスト社会の双方にとってどのような意味合いを持ちうるのかを検討した。 研究方法は、文献・資料研究のほか、在日バングラデシュ人が多く集まるイベント、ハラールフード店、モスクなどでのフィールドワーク、ならびに当事者である在日バングラデシュ人や関係者、イベントを後援している自治体へのインタビュー調査が中心である。インタビューに際しては、筆者自身がボランティアとして活動に携わっていたNPO団体APFSからご紹介を得たほか、知人からの紹介やフィールドワーク中に出会った方など個人的な伝手を利用し、10名からの協力を得た。 調査の結果、現在の在日バングラデシュ人は東京都北区、中でも滝野川地域や東十条地域周辺に集中していることが明らかとなった。また、ほとんどの者が正規の在留資格を持ち、自らビジネスを行ったり事務職に就いたりと、労働市場の底辺を担う単純労働者としてみなされていた1980年代末とは異なる様相を見せている。そして、彼らのネットワークや生活圏は、彼ら自身の持つ属性(宗教や職業、滞在資格など)の違いによって細分化されており、よりミクロなスケールでの関係性にもとづき構築されている。 一方、彼らの構築するエスニック空間については、大別して2点の特徴が挙げられる。第一に、彼らは上述地域への集住傾向を示すものの、当該地域においては彼らのエスニシティが顕示されず、恒常的なエスニック景観は極めて不可視的である。第二に、彼らが集い、エスニシティを前面に出しうるのは、池袋西口公園で開かれる「ボイシャキメラ(正月祭り)」など、限られた一時的な機会のみである。このイベントは、公園という開かれた空間で行われ、彼ら個々人の存在自体が持つエスニシティ(服装や言語、容姿など)、そしてナショナルな性質を帯びるエスニシティ(国旗や国歌、文字など)が際立って可視化されている。すなわち、本国における彼らの「日常」がホスト社会においては「非日常」となり、ホスト社会である日本の政策と権力の影響を受け、普段の生活において戦略的、あるいは必要性のなさから自分たちのエスニシティや存在を隠していることとは対照的に、それらを示す重要な機会となっている。 以上から、移民によるホスト社会におけるエスニシティの体現は、様々な権利獲得や、観光資源あるいは商業上の必要性による「戦略的」なものであるが、在日バングラデシュ人にとってはこの一時性こそが、日本社会における生存戦略の一環となっていると考えられる。また、在日バングラデシュ人が、ホスト社会における公共物としての性格が強い公園において、その権力性を乗り越え、自らのアイデンティティと差異を誇示しつつも日本社会との良好な関係や友好を示す機会を継続して作り出しているという点は、移民コミュニティとホスト社会が関わり合うことによる多様な空間生成の可能性を示唆している。ある程度の可視性や持続性を前提とした文化的景観に加え、こうした一時的かつ非日常的に構築されるエスニックな空間の持つ意味を検討したこと、そして移民による空間形成の背後にあるホスト社会の権力とアクターを含めた検討ができたことは、エスニック地理学における新たな見方を提示することができたのではないか。