著者
豊倉 康夫
出版者
医学書院
雑誌
神経研究の進歩 (ISSN:00018724)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2, pp.425, 1967-08-25

Von Economoがいわゆる嗜眠性脳炎についてはじめて記載したのは1917年(大正6年)5月であるが,これは1916年の冬から翌年にかけてウィーン市に突如として流行した原因不明の脳炎についてである。1918年以降,流行はドイツ,英国,北米に拡がり,ほとんど全世界を席捲するに至つた。 わが国では大正8年(1919年)長野,新潟各地で髄液透明,ワ氏反応陰性で嗜眠,眼瞼下垂,複視などの脳症状を示す疾患の流行があり,田中清氏が同年10月5日の「日本之医界」誌上に嗜眠性脳炎として報告されている。また稲田竜吉教授が同年「実験医報」に東京地方の流行について「急性脳炎」として説かれた所論がある。日本におけるこれらの脳炎様疾患がエコノモの記載したものと同一疾患てあつたか否かについては,問題は必ずしも解決したわけではない。ただ明らかなことは大正13年(1925年)夏期に大流行があり,以後常にわが国において重大な問題となつた日本脳炎(Japanese B Encephalitis)とは異なつたものであること,そして不思議なことに1926年を境として激減の一途を辿り1930年代には事実上姿を消してしまつたということである。のみならず,興昧あることはエコノモ型脳炎の後遺症としてパーキンソニズムの発症がはなはだ高率であり,この古典的な脳炎後パーキンソン症候群も1935年以後の新しい発症がほとんどみられなくなつたという事実である。