- 著者
-
財吉拉胡
- 出版者
- 独立行政法人 日本貿易振興機構アジア経済研究所
- 雑誌
- アジア経済 (ISSN:00022942)
- 巻号頁・発行日
- vol.60, no.2, pp.2-33, 2019-06-15 (Released:2019-09-03)
- 参考文献数
- 107
伝統的な社会における医療衛生の近代化は植民地時代に開始された。明治維新後,帝国主義列強に加わった日本は,周辺のアジア諸国において植民地を獲得し,現地の医事衛生と社会事情に合わせた医療衛生政策を実施し,近代的医療衛生を持ち込んだ。内モンゴル西部地域においては,1930 年代前半から,モンゴル人の自治運動が起きたが,それとほぼ同時に,日本は財団法人善隣協会の診療班を当該地域へ送り込み,近代的医療衛生体制を導入した。一方,日本の植民地主義勢力が強制した近代化と近代思想の影響を受けたモンゴル人側は,みずからもすすんで近代的医療衛生を普及させようと試みていた。本論文では,当時の社会事情と植民地における近代的医療衛生事業の展開を背景に,蒙疆政府の医療衛生政策,モンゴル復興を目指した同政府興蒙委員会の医療衛生事業の展開,当該政府によって設立された中央医学院の実態などの考察を通じて,内モンゴル西部地域における医療衛生の近代化過程を明らかにする。