著者
近藤 誓
出版者
一般社団法人 日本体育学会
雑誌
日本体育学会大会予稿集
巻号頁・発行日
vol.67, pp.102_3-102_3, 2016

<p> 近年、プロ野球選手が野球賭博に関与していたり、バドミントン選手が違法カジノに出入りしていたりして、スポーツと賭博に関わる出来事が社会問題となっている。しかし、同じ賭博行為でも、競馬、競艇などの4種目は「公営ギャンブル」と呼ばれ、特殊法人や地方公共団体による施行が許可されている。その中でも競馬については、戦前から行われていた実績や欧米を中心に国際的にも広く行われていることもあり、日常生活の中に溶け込むとともに現在も大きな人気を有している。競馬については、これまで公営ギャンブル(賭博)の賭け容認過程やギャンブル(賭博)の社会的影響、さらにはスポーツのルールとギャンブル(賭博)の関係などについての研究がなされてきた。こうした研究の成果を捉えつつも、しかし、いわば社会に飼いならされ「飛び地」として合法化された「賭博」は、なぜ競馬という対象の中に成立し、またそれは、例えばニュース番組などでは決まって「スポーツコーナー」で取り上げられるように、どうして「スポーツ」との関係を強く示唆されるものとなっているのだろうか。競馬、スポーツ、賭博の関係を、現代社会が写る鏡の一つとして本研究では明確にしたい。</p>
著者
近藤 誓
出版者
一般社団法人 日本体育学会
雑誌
日本体育学会大会予稿集
巻号頁・発行日
vol.68, pp.84_3, 2017

<p> 東(2014)は現代社会ではグラノベッターが述べるところの「強いつながり」が好まれているが、人生を豊かにしていくためには「強いつながり」だけではなく「弱いつながり」に飛び込んでいくことが重要であると述べている。</p><p> 他方で社会心理学者の山岸(1998)は東と同様に「弱いつながり」の重要性を説きつつ、相手の行動や能力ではなく、内面にある人間性や自分に対する感情などの判断で相手を信じるという「信頼」が重要であると指摘している。さらに「信頼」は意識的には利益を追求することはないが、結果的に利益につながるとも述べている。</p><p> この観点を援用して、報告者はこれまで競馬場に目を向け、自分の知らない人とたまたま出会い、そこで盛り上がって競馬を楽しむなど「弱いつながり」に飛び込み、相手を「信頼」するという行為を検討してきた。本研究ではこれまでの取り組みと比較する形で、新たに「競艇」を対象として、「競馬」との比較という観点から、「信頼」という概念の持つ賭けに対する社会学的意味について考察してみたい。</p>