著者
迫 俊道
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.83-93,123, 2006-03-20 (Released:2011-05-30)
参考文献数
30

これまでに生田久美子は日本の芸道の修行過程を研究してきた。日本の芸道の修行過程の特徴は「非段階性」であると生田は主張している。しかし、生田は世阿弥の稽古に関する理論などを援用している。世阿弥の理論においては、芸道の稽古の過程は段階的であると綴られている。また、生田が芸道の身体教育の意義を提示している説明文においても段階性を示唆する表現が認められる。本論文の目的は、芸道の身体教育の段階性に関する生田の議論の矛盾点を指摘し、世阿弥、ヘリゲル、西郷らが記した文献を中心として取り上げ、それらの記述の中において、芸道の身体教育に特有な段階性があることを明らかにすることにある。その上で、生田が光を当ててこなかった、芸道における身体教育の段階性の意義を提示することにある。芸道において段階が創造される際には、指導者が学習者の段階の生成過程を見極め、次の段階への橋渡しをしていくという「段階的指導」が行われている。生田が想定した「段階性」とは、現代の学校教育等に象徴的に見られるような静的なものである。だが、芸道の身体教育における「段階性」は、ダイナミックに流動するものであるだろう。芸道における身体教育の段階性の意義は、指導者と学習者の間で展開されていく、複雑な生成過程を経ることを通じて、段階が創造されていくことを示唆している点にあると思われる。
著者
迫 俊道
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.36-48,134, 2002-03-21 (Released:2011-05-30)
参考文献数
49
被引用文献数
3 3

チクセントミハイは, 日本の伝統的な文化活動においてフロー状態が生まれる例として, 茶道や弓道などの芸道をあげている。しかし, 日本の伝統的身体技法におけるフロー体験に関する研究は, これまでほとんど行われてきていない。本稿の目的は, スポーツにおけるフロー状態の特質と比較考察することにより, 日本の伝統的身体技法におけるフロー体験の特質を明らかにすることにある。その際, アフォーダンス理論やボルグマンの「命じてくる実在」対「思いどおりになる実在」といった観点を援用する。チクセントミハイが考案したフローモデルによると, 行為者の能力が行為の機会とバランスがよく取れている時, フロー状態が生じる。しかし, チクセントミハイ自身が気づいているように, こうしたフロー体験には,「環境を支配する能力」と「支配感などどうでもよくなる感じ」が知覚されるというパラドクスが認められる。一方, 日本の芸道においては,「環境に対する支配」ではなく,「支配が消失する状態」の生成こそが初めから目指されていると言えよう。こうした芸道の特徴は, 知覚と行為の協応関係を主題化した「アフォーダンス」理論や, 活動的な関わりを人に課してくる実在の非妥協的な側面に光を当てたボルグマンの「命じてくる実在」概念により, その意義がより明確に把握されうるだろう。いわゆる「無心」,「無我」の境を目指す日本の芸道の特質は, 実在の命じるところに細心の注意を向けつつ, 環境との一体化 (フロー), つまり, 行為的身体と環境との間の理想的な協応関係の到来をひたすら「待つ」修練の過程にあると言えよう。