著者
金谷 めぐみ 植田 浩司
出版者
西南女学院大学
雑誌
西南女学院大学紀要 (ISSN:13426354)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.59-70, 2018

キリシタン音楽、カトリックの讃美の歌声が日本から消えて200 有余年(鎖国・禁教時代)、ペリーの来航(1853)を機に、幕末・明治の開国の時代を迎えた。明治新政府は、キリスト教禁止の幕府政策を継承したが、明治6年に禁教令を廃止し、信教の自由を認めた。来日したカトリック教会と正教会、そしてプロテスタント教会の宣教師たちは、西洋文明を伝え、キリスト教の伝道と教育活動を展開し、日本の社会はキリスト教とその音楽に再会した。 日本における礼拝を執り行うために、また日本人が讃美するために、各教会は聖歌集および讃美歌集を出版した。とくにプロテスタント教会の讃美歌の編集では、日本語と英語の性質の異なる言語において、五線譜の曲に英語を翻訳した日本語の歌詞をつけて、曲と歌詞とのフレージングとアクセントを合わせることに努力が払われた。 本総説において、著者らは、明治時代に日本で歌われたカトリックの聖歌と正教会の聖歌、そしてプロテスタント教会の讃美歌について楽譜付讃美歌が出版された経緯を記し、文献的考察を行った。
著者
金谷 めぐみ 植田 浩司
出版者
西南女学院大学
雑誌
西南女学院大学紀要 (ISSN:13426354)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.29-36, 2019

モーツァルト(W.A.Mozart, 1756-1791)の《声楽のためのソルフェージュSolfeggien für eine Singstimme K.393(385b)》(以下、《ソルフェージュ》)は、1782 年に作曲された。ユニヴァーサル社の楽譜《ソルフェージュと声楽練習Solfeggien und Gesangsübungen K.-V.393》には「ソルフェージュ1、-2、-3、- 断片、および声楽のための練習曲」の5 曲が収められている。スワロフスキー(Hans Swarowsky, 1899-1975)は、この楽譜の序文に「これらの《ソルフェージュ》にはモーツァルトのオペラの登場人物「コンスタンツェ(《後宮からの逃走 Die Entführung aus dem Serail K.384》)、コンテッサ(《フィガロの結婚 Le nozze di Figaro K.492》)、ドンナ・アンナおよびドンナ・エルヴィラ(《ドン・ジョヴァンニ Don Giovanni K.527》)、フィオルディリージおよびドラベッラ(《コシ・ファン・トゥッテ Così fan tutte K.588》)、夜の女王(《魔笛 Die Zauberflöte K.620》)を歌うのに必要なテクニックをすべて含んでいる」と記している(以下、原題を略)。冒頭のコンスタンツェが登場するジングシュピール《後宮からの逃走 K.384》は、《ソルフェージュ》と同じ年に作曲・初演された。 本論文では、モーツァルトのジングシュピール《後宮からの逃走 K.384》作曲の経緯およびコロラトゥーラの発展の歴史とコンスタンツェのアリアにおけるコロラトゥーラの劇的表現について記し、「ソルフェージュ1」の冒頭6 小節の声楽上の意義について文献学的考察を行った。
著者
金谷 めぐみ
出版者
西南女学院大学
雑誌
西南女学院大学紀要 (ISSN:13426354)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.33-38, 2021

モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756-1791)の《ソルフェージュと声楽練習Solfeggien und Gesangsübungen K.-V.393》(以下《ソルフェージュ》)に収められている全5曲(Solfeggio 1,-2,-3,-Fragment, およびEsercizio per il canto)と、アスパージア(《ポントの王ミトリダーテ Mitridate, re di Ponto K.87(74a)》)のアリアの中に類似する旋律を見出すことを目的に、読譜および音源聴取を行った。 アスパージアのアリア「迫り来る運命から Al destin, che la minaccia」と「ソルフェージュ1」の一節に類似する旋律を見出した。アスパージアのアリアは、オペラ《ポントの王ミトリダーテ Mitridate, re di Ponto K.87(74a)》の初演で歌唱したベルナスコーニ(Antonia Bernasconi, 1738-1816)の要望に添って調性および旋律に修正が施され、アリアの一節は、妻コンスタンツェの歌唱訓練を想定して作曲した「ソルフェージュ 1」に書かれたと推察した。 本稿において「ソルフェージュ1」とアスパージアのアリアに類似する旋律について解析を行い、声楽上の共通点について記し、アリアの背景を調査し、報告した。
著者
金谷 めぐみ 植田 浩司
出版者
西南女学院大学
雑誌
西南女学院大学紀要 (ISSN:13426354)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.59-70, 2018-03-01

キリシタン音楽、カトリックの讃美の歌声が日本から消えて200 有余年(鎖国・禁教時代)、ペリーの来航(1853)を機に、幕末・明治の開国の時代を迎えた。明治新政府は、キリスト教禁止の幕府政策を継承したが、明治6年に禁教令を廃止し、信教の自由を認めた。来日したカトリック教会と正教会、そしてプロテスタント教会の宣教師たちは、西洋文明を伝え、キリスト教の伝道と教育活動を展開し、日本の社会はキリスト教とその音楽に再会した。 日本における礼拝を執り行うために、また日本人が讃美するために、各教会は聖歌集および讃美歌集を出版した。とくにプロテスタント教会の讃美歌の編集では、日本語と英語の性質の異なる言語において、五線譜の曲に英語を翻訳した日本語の歌詞をつけて、曲と歌詞とのフレージングとアクセントを合わせることに努力が払われた。 本総説において、著者らは、明治時代に日本で歌われたカトリックの聖歌と正教会の聖歌、そしてプロテスタント教会の讃美歌について楽譜付讃美歌が出版された経緯を記し、文献的考察を行った。