著者
鈴木 義昭
出版者
早稲田大学
雑誌
早稲田大学日本語研究教育センター紀要 (ISSN:0915440X)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.1-15, 1998-03-31

日中両国の文体改革の流れを見ると, ともに外圧的な動きの中で形成されてきた点に類似した面がある.日本の「言文一致運動」は, 明治維新, 外来文化の流入と同時に起こったのではない.中国の文体改革運動の&Lt;文学革命&Gt;, 清末の洋務運動・辛亥革命以来の洋化運動と直接に連動して始まったものではない.「言文一致運動」が明治二十年代, &Lt;文学革命&Gt;が1910年代後半と, ある一定の慣熟期間を経て醸成して来た点でもまた同様である.本稿では, &Lt;文学革命&Gt;のスローガンである, 胡適の"八不主義"の顛末を主として眺めてみたい.すなわち;1916年8月に「寄朱経農」から始まり, 1916年10月の「寄陳独秀」, 1917年2月の「文学改良芻議」(以上三者はアメリカで書かれる)経て・1918年4月叫建設的文学革命論」に至って定稿となる.いずれも八力条からなっており, 「建設的〜〜」で初めて, 文頭に「不上字の冠された"八不主義"が完成する.&Lt;文学革命>および"八不主義"は, 様々な問題を内包したスローガンである.アメリカのニュームーブメントを主導したイマジストクリードとの関連も見逃しがたい.ただ中国では, &Lt;文学革命&Gt;は単に文学の形式を変えるというだけでな<, 「文言と白話の木目克」の解消という文体論的課題を持っている.またそれは, 「五四運動」の先駆として, 数千年来の奥深い文化的側面の改革をも意味しているわけで, とても一日にして論是られるものではない."八不主義"の生成過程を辿ることにとって, そうした一端を考えてみたい.
著者
鈴木 義昭
出版者
早稲田大学
雑誌
早稲田大学日本語研究教育センター紀要 (ISSN:0915440X)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.99-110, 1997-03-31

中国において全集が出版されている作家, 例えば, 魯迅・郭沫若・郁達夫が日本に留学したのに対して, 聞一多と日本との繋がりは, アメリカ留学に赴く途中, 神戸・横浜に数日間滞在しただけで, 地縁的にも深い関係にあったとは言いがたい.ただ, 聞一多は横浜・東京を見物した折, 東京帝国大学英文科二年生の井上思外雄と知り合った.また, 1926年には小畑薫良の『李白詩集』について論評を行った.本稿では, 聞一多によって, 中国の人々の記憶に残ることとなった二人の日本人について述べたい.
著者
鈴木 義昭
出版者
早稲田大学語学教育研究所
雑誌
講座日本語教育
巻号頁・発行日
vol.第21分冊, pp.78-88, 1985-07-01