著者
長弘 雄次 田中 邦博
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.517-529, 1996-06-05 (Released:2010-06-15)
参考文献数
13

近時の土木工事において、国土の有効利用の立場から大深度地下空間の利用が大きくクローズアップして来ている。明治以来、日本経済の近代化に大きな役割を果たした石炭産業において、通気・運搬・排水など、その操業に重要な影響を与えた土木技術としての地下空間の開発について、特に全国の主要産炭地としての九川地区の炭鉱の立坑掘鑿に関する史的研究の成果を敢りまとめた。
著者
長弘 雄次
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木史研究
巻号頁・発行日
vol.13, pp.437-449, 1993

九州北部を流れる福岡県下第二の大河遠賀川は、有史以来氾濫を繰り返したが一方その流域は有数な稲作地帯として先史以来多くの人々が住みっき、その流れは平安の昔から年貢米や諸物資の輸送路としての水運交通が盛んであった。<BR>遠賀川は河床こう配が緩く水深が浅いため、大きな船が航行できず、艀 (ひらた) という船底の浅い川船が利用された。近世江戸時代に入り、黒田藩は治水工事を積極的に行って遠賀川の水路を確保して上流からの物資輸送による地域開発に意を注ぎ、宝暦年間 (1751~1764年) 以降流域で石炭の採掘が盛んになると逐次石炭輸送が主力となり、特に明治以後は石炭輸送の大動脈として日本経済の近代化に大きく貢献した。<BR>しかし、1887 (明治20) 年以降は増大する石炭生産に水運が対応できず、鉄道の敷設とともに陸運にとって代られ、199 (昭和14) 年を最後として遠賀川から川船が姿を消し、水運交通に終止符を打ち、石炭生産も戦後のエネルギー革命により、昭和40年代の後半にその使命を終了した。<BR>当論文は有史以来からの遠賀川の水運交通の盛衰についての史的研究をとりまとめた。
著者
田中 邦博 長弘 雄次
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.475-486, 1997

日本経済の近代化に大きな影響を与えた北部九州筑豊炭田において、1887 (明治20) 年以降石炭生産量の増大と共に、従来から川ひらたと称する小舟による遠賀川の水運に頼っていた石炭の輸送が隈界に達し、陸運の必要性が高まるにつれて1889 (明治22) 年に筑豊興業鉄道が創立され、1891 (明治24) 年筑豊若松-直方間が開通した、, 以後石炭輸送の産業鉄道として活躍し、1897 (明治30) 年九州鉄道と合併するまで地域の発展に貢献したが、その創立から進展合併までの歩みを交通史としてとりまとめた。