著者
長谷川泉 武田勝彦共編
出版者
明治書院
巻号頁・発行日
1976
著者
長谷川泉編著
出版者
八木書店
巻号頁・発行日
1969
著者
長谷川泉著
出版者
主婦の友社
巻号頁・発行日
1978
著者
長谷川泉編著
出版者
八木書店
巻号頁・発行日
1973

2 0 0 0 三島由紀夫

著者
長谷川泉編集解説
出版者
至文堂
巻号頁・発行日
1971
著者
長谷川泉 [ほか] 共編
出版者
右文書院
巻号頁・発行日
1970
著者
長谷川 泉
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.36-37, 1959-08-01

明治・大正・昭和の3代に大きな足跡を残した永井荷風の死は,その孤独の死にざまの故に世間を驚かせた.いや世間は驚かなかつたかもしれないが,注目はした.身内がひとりもいない死の床の戸外には,50人余のジヤーナリストがつめかけていた.これは荷風死後のある瞬間における,荷風家をめぐる現実の姿であつた.人つ子ひとりも通らないような山奥で,身もともわからない他殺死体が見つかつて,まずジヤーナリストがかけつけたといつた環境とは全く違うのである. 老残の荷風は,みとる人もなく,ひとりで死の床に横たわつていた.発見されたのは,通勤の老婆が翌朝出勤してからのことである.荷風は長く独身で,身辺に人を近づけなかつた.女には近づいたが,共に住まなかつた.女ばかりではない,荷風の嫌人癖は徹底していた.それが荷風の方針であつたから,死の床にだれひとりいなくても荷風はもつてひとり瞑することができたであろう,恐らくは,その生涯をかえりみて,死期の後悔もなかつたであろう.その方針を貫いただけである.死に伴う必然の肉体的苦痛はあつたかもしれないが,精神のいたみは全々無かつたであろう.荷風はそのように生き,そのような最後をも自ら読んでいたことであろう.
著者
長谷川 泉
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.30-31, 1957-12-01

昔は医師が特権階級であつた.社会的名声においても,また経済的な点からいつてもそうであつた.その頃は,医は仁術ですらあつた.だが,現在では医は算術といわれるくらい,せちがらい世の中に生きることを医師も余儀なくされている.目下保険診療の単価の値上,点数の改正をめぐつて,厚生省,日本医師会,被保険者の三つ巴の論議がかわされている.厚生省案と医師会案とが真向から対立して,その帰趨は軽々に結論を下せない実情にある.かつて自由診療であつた頃の医師はまさしく特権階級であつた.だが,保険診療になつて医師の特権的な位置はゆらいでいる. 現在の医業の実情はどうなつているのであろうか.そして医師の考えていることはどのような方向であるのか?——保険問題がやかましい折からそのような基本的な課題に答える便利な調査がある.それは東大社会学尾高邦雄教授と,統計数理研究所鈴木達三博士によつてまとめられた「医師 意見 調査 報告」である.以下このデータによつて注目すべき諸点を見てゆくことにしよう.(この調査の対象となつたのは昭和30年12月31日現在の東京都内在住の男子医師で,ランダム・サンプリングの方法によつて抽出された600名である.)
著者
長谷川 泉
出版者
医学書院
雑誌
保健婦雑誌 (ISSN:00471844)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, 1958-01-10

人間は理性を持つた存在であるから,理智が生活を規制する.しかしとぎすまされた理性のみで振舞う冷徹さは,人間の持つ反面である感情と齟齬し相いれない場合も出てくる.そのような場合に,どちらを優位にたてた行動をするかという判定は,極めて難しい問題である.性格や環境によつて,その場合の行動が異ることがあり得る.見方は人によつて違う. 有島武郎の「実験室」(大正6.9「中央公論」)にはこの問題に示唆するテーマが扱われている.主人公は片目の若い医師である.科学者であるから,当然のことながら,理性的に行動しようとする.この作品では,その行動は最後に復讐されている.だが,考えさせられる多くの問題を含んでいよう.