著者
関口 哲矢
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.126, no.3, pp.67-92, 2017

本来、復員庁の改組と復員業務は関連づけて議論されるべきである。しかし先行研究では、復員庁の史実調査部に所属する旧軍幹部とGHQ・G2(参謀第二部)のウィロビー部長との関係から、改組に旧軍復活の意図があったとする指摘が多い。この評価は妥当か。再検討の結果、復員庁の改組が復員業務の進捗ではなく、米ソ対立やGHQ内の部局間対立、日米の見解の相違によって方向づけられたことを明らかにした。<br>復員庁が発足した当初は、復員の動向が意識されていた。米ソの話しあいによっては、最後まで残されたソ連地区からの復員が進み出すかもしれず、それに伴い今後の復員庁の規模も決定される可能性があったからである。しかし米ソの議論は、ソ連が復員庁の縮小と旧軍人の追放を主張し、アメリカが反発するという政争に終始した。くわえてアメリカは、日本には旧軍人の追放に厳格である反面、ソ連に対しては残置の正当性を主張した。GHQ内でもGS(民政局)は追放に厳格であるのに対し、G2は宥和的という相違があった。<br>復員業務に対する日米間の認識のずれ(・・)も、復員庁の運営に大きな影響をあたえた。GHQが復員手続きの完了と復員者の引揚げをもって復員の完了ととらえたのに対し、日本側は行方不明者の捜索までを業務とみなして組織の存続を主張した。しかし認められず、改組は段階的に進められていく。そのため日本側は、組織の存続を粘り強く訴えていくことになったのである。<br>以上から、復員庁の改組を方向づけたのは日本・GHQ双方の意思疎通不足といえよう。GHQの主張は対ソと対日で異なり、GSとG2も対立と協調の両面をみせあった。日本内部でも復員庁の改組方針を政府見解にまでいたらせる努力を怠った。これらの結果、改組の議論に各政治勢力の利害関係が持ち込まれ、復員の状況が反映されることを妨げたのである。よって、改組と再軍備の動きを強調する傾向は再考されるべきである。<br>