著者
青木 敬士
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.A31-A36, 2007

「Web2.0」の時代は、ユーザの参加と情報の共有によって実現する「アクティブな生きた情報網」の実現によって打ち立てられた。しかし同じ環境を享受しながら、日本におけるコミュニケーション形態は、場の空気を読んだ馴れ合いがずっと主流であり続けている。その原因はどこにあるのか?この第一章では、対話を消滅させ、並行する「独白」同士の共感を浮かび上がらせる作風で支持を得た、新海誠のアニメーション作品を採り上げて、日本の若者が抱えているコミュニケーションの問題に迫る。
著者
青木 敬士
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.A93-A103, 2005

細密画の技術が極限まで上がって写真と見分けがつかなくなった時、逆に細密画はその「リアルさ」という価値を失ってしまう。それはカメラという「装置で写し取ることができる」別種のリアリティに変容してしまうからだ。そのようなパラダイムシフトは、ネットワーク上の表現にも起こりつつある。コンピュータの高速度・大容量化が実現しつつあったマトリックス的ヴァーチャル・リアリティとは異質の、掲示板上に書き込まれる普通のテキストから生まれた『電車男』というストーリーが、真の意味でのリアリティを具現化してしまったのだ。パラダイムシフト前後を象徴する一九九八年のアニメ『serial experiments lain』と、二〇〇四年にネットから生まれた小説『電車男』をとりあげ、リアルを支えるものは何なのかを探る。
著者
青木 敬士
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.83-89, 2004-07-30

進化をやめないネットや携帯などの電子コミュニケーションツール。それは、エンデの幻想小説に描かれた「永遠に工事中のつながっていない橋における交易」のように、問題点を置き去りにした発展を続けている。通信の向こう側にいるのは本当に生身の人間なのか? ということすら重要性を失った、単なるレス (反応) に対する欲求がネットには横溢しており、この現代のコミュニケート状況はリアルなマトリックスの戦いである。そこで生き抜く方策を、チューリング、アシモフ、村上龍、神林長平の著作を横断しながら探っていく。