著者
山﨑 真克 麻生 由紀 土居 裕美子 迫垣内 裕 頼 祺一
出版者
比治山大学
雑誌
比治山大学紀要 = Bulletin of Hijiyama University (ISSN:2188899X)
巻号頁・発行日
no.24, pp.274-268, 2017

平成二十八年度四月より、比治山大学研究助成を受け、「不動院と安国寺恵瓊に関する研究」を開始した。本研究は、不動院中興の祖とされる安国寺恵瓊に注目し、「不動院文書」の中にみられる恵瓊関係の書状をはじめとした関連資料、および全国に点在する恵瓊関係資料の調査・収集・解読・整理を行うことにより、十六世紀後半における日本の歴史の中で、特に不動院との関わりに焦点を当てつつ、安国寺恵瓊が果たした役割を明らかにすることを最終目的とする。平成二十九年度は、「安国寺恵瓊関係資料データベースシステム」の構築に向け、恵瓊関係資料の調査・収集・整理を継続的に行った。本稿は、その過程で見出した天正十一年(一五八三)六月廿六日付小早川隆景書状を中心とした報告である。蜂須賀小六宛の当該書状には、賤嵂岳の戦い後における毛利氏と秀吉方との領土問題についての交渉において重要な役割を果たす存在として、安国寺恵瓊の名がみえている。またこの書状は、これまであまり存在が知られていなかった時期の恵瓊の情報を示すものである。
著者
勝部 眞人 頼 祺一 相良 英輔 濱田 敏彦
出版者
広島大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2002

本研究は、これまでほとんど明らかにされてこなかった幕末・維新期における島根県大社地域の歴史的特質を、同地域の藤間家文書を中心にしながら、同家の海運業のあり方、町支配の状況、産業・経済基盤、名望家間のネットワークの観点から解明していこうとするものである。基礎作業としてまず文書目録の作成を行ったが、数千点におよぶ文書一点々々に番号の付箋を挟み込み、収納場所と目録とが対応できるようにしていった。ただし、別場所に保管されていて後から出てきた文書や一枚物の文書を中心に、作業を完遂させられなかったものも少なからずあり、今後の課題として残ってしまった。藤間家は慶長期には廻船業を開始していたという伝承を持つ出雲地方の名家であるが、幕末期にも7艘の船を操って東北日本海側各地から九州・瀬戸内各地域におよぶ広い範囲を交易圏として活発な活動を行っていた。また大社地域は、出雲大社の年2回の祭礼時に行う富くじ目当てに遠く江戸・畿内や四国・九州から数十万人が集まってきたことから、それらの人々を相手に諸商売・宿屋を営むことで生計を成り立たせていたという。しかし維新政府の富くじ禁止策によって、地域経済は大きな打撃を受けることになる。「養米」と称された救恤米の払底を機に明治2年に起こった騒動など、地域秩序の維持・再構築が模索されていた。こうしたなかで縁戚筋にあたる宍道町木幡家との書簡をとおして、「文明の魁」として断髪に踏み切る姿が明らかになった。地域のリーダーとして、維新政府・県令の指導と地域秩序維持とのはざまで自らを律していく名望家の姿の一端を解明することができた。