- 著者
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勝部 眞人
頼 祺一
相良 英輔
濱田 敏彦
- 出版者
- 広島大学
- 雑誌
- 基盤研究(C)
- 巻号頁・発行日
- 2002
本研究は、これまでほとんど明らかにされてこなかった幕末・維新期における島根県大社地域の歴史的特質を、同地域の藤間家文書を中心にしながら、同家の海運業のあり方、町支配の状況、産業・経済基盤、名望家間のネットワークの観点から解明していこうとするものである。基礎作業としてまず文書目録の作成を行ったが、数千点におよぶ文書一点々々に番号の付箋を挟み込み、収納場所と目録とが対応できるようにしていった。ただし、別場所に保管されていて後から出てきた文書や一枚物の文書を中心に、作業を完遂させられなかったものも少なからずあり、今後の課題として残ってしまった。藤間家は慶長期には廻船業を開始していたという伝承を持つ出雲地方の名家であるが、幕末期にも7艘の船を操って東北日本海側各地から九州・瀬戸内各地域におよぶ広い範囲を交易圏として活発な活動を行っていた。また大社地域は、出雲大社の年2回の祭礼時に行う富くじ目当てに遠く江戸・畿内や四国・九州から数十万人が集まってきたことから、それらの人々を相手に諸商売・宿屋を営むことで生計を成り立たせていたという。しかし維新政府の富くじ禁止策によって、地域経済は大きな打撃を受けることになる。「養米」と称された救恤米の払底を機に明治2年に起こった騒動など、地域秩序の維持・再構築が模索されていた。こうしたなかで縁戚筋にあたる宍道町木幡家との書簡をとおして、「文明の魁」として断髪に踏み切る姿が明らかになった。地域のリーダーとして、維新政府・県令の指導と地域秩序維持とのはざまで自らを律していく名望家の姿の一端を解明することができた。