著者
下澤 楯夫 西野 浩史 馬場 欣也 水波 誠 青沼 仁志
出版者
北海道大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2000

機械受容は、動物と外界との相互作用の「基本要素」であり、機械刺激の受容機構を抜きにして動物の進化・適応は語れない。従来、機械受容は「膜の張力によるイオンチャネルの開閉」といった「マクロで単純すぎる」図式でとらえられて来た。また、機械感覚の超高感度性の例として、ヒトやクサカゲロウの聴覚閾値での鼓膜の変位量が0.1オングストローム、つまり水素原子の直径の1/10に過ぎないことも、数多く示されてきた。しかし、変位で機械感度を議論するのは明らかに誤っている。感覚細胞は外界のエネルギーを情報エントロピーに変換する観測器であり、その性能はエネルギー感度で表現すべきである。エネルギーの授受無しの観測は「Maxwellの魔物」で代表される統計熱力学上の矛盾に行き着くから、いかなる感覚細胞も応答に際し刺激からエネルギーを受け取っている。コオロギの気流感覚細胞は、単一分子の常温における熱搖動ブラウン運動)エネルギーkBT(300°Kで4×10^<-21>[Joule])と同程度の刺激に反応してしまう。機械エネルギーが感覚細胞の反応に変換される仕組み、特にその初期過程は全く解明されていない。この未知の細胞機構を解明するため、ブラウン運動に近いレベルの微弱な機械刺激を気流感覚毛に与えたときの感覚細胞の膜電流応答の計測に、真正面から取り組んだ。長さ約1000μmのコオロギ気流感覚毛を根元から100μmで切断し、ピエゾ素子に取付けた電極を被せてナノメートル領域で動かし、気流感覚細胞の膜電流応答を計測した。長さ1000μmの気流感覚毛の先端は、ブラウン運動によって約14nm揺らいでいることは計測済みである。先端を切除した気流感覚毛を10-100nmの範囲で動かしたときの膜電流応答のエネルギーを計測し、刺激入力として与えた機械エネルギーと比べたところ、すでに10^6倍ほどのエネルギー増幅を受けていた。従って、機械受容器の初期過程は細胞膜にあるイオンチャンネルの開閉以前の分子機構にあることが明らかとなった。