著者
高 継芬
出版者
九州看護福祉大学
雑誌
九州看護福祉大学紀要 = The Journal of Kyushu University of Nursing and Social Welfare
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.35-45, 2017-03

上代、東国出身の防人やその家族が詠んだ歌が防人歌である。父母・妻子・恋人との別離の悲しみや望郷・旅情などが素朴に歌われていて、読む人の心を打つ歌が多い。《万葉集》中に収められた防人および防人の家族たちの歌〈東歌(あずまうた)〉とともに,古代東国の民衆の歌として貴重な作品群である。 中国にも『詩経』や『唐詩選』の中に万葉集の防人歌と似ている歌がある。小雅の「采薇」は詩経の中でも最も美しい詩とされているが、「出車」、 と並んで従来の解釈では、これは という遊牧民の侵入によって、西周が衰亡したことを嘆いた歌とされてきた。まさしく防人の歌である。 中国・唐代の玄宗皇帝の治世(8世紀)は盛唐と呼ばれて国力も充実し、その支配は東北辺境の幽州(まだ中華の中心ではなかった現在の北京一帯)から西北のタクラマカン砂漠周辺にまで及んでいた。「辺塞詩」とはこれら都から遠く離れた「辺塞」での異民族との戦いを舞台にした「防人歌」のことで、家族や友人との別れ、過酷な自然、望郷、出征の悲しみなどが歌われている。 国が違っても、同じ人間であり、その気持ちを日本の「防人歌」のような歌に託したかった心情は同じなのではないだろうか。このような観点から今後、日本の「防人歌」と紀元前に中国を治めた古代王朝「周」の時代の「詩経」及び漢詩や文選との比較研究を行いたいと考えている。その研究を行うためにも「防人」という語の由来について考察する必要があり、本稿は「防人」という語、中国の防人、日本の防人について論じる。
著者
高 継芬
出版者
九州看護福祉大学
雑誌
九州看護福祉大学紀要 = The Journal of Kyushu University of Nursing and Social Welfare
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.35-45, 2017-03

上代、東国出身の防人やその家族が詠んだ歌が防人歌である。父母・妻子・恋人との別離の悲しみや望郷・旅情などが素朴に歌われていて、読む人の心を打つ歌が多い。《万葉集》中に収められた防人および防人の家族たちの歌〈東歌(あずまうた)〉とともに,古代東国の民衆の歌として貴重な作品群である。 中国にも『詩経』や『唐詩選』の中に万葉集の防人歌と似ている歌がある。小雅の「采薇」は詩経の中でも最も美しい詩とされているが、「出車」、 と並んで従来の解釈では、これは という遊牧民の侵入によって、西周が衰亡したことを嘆いた歌とされてきた。まさしく防人の歌である。 中国・唐代の玄宗皇帝の治世(8世紀)は盛唐と呼ばれて国力も充実し、その支配は東北辺境の幽州(まだ中華の中心ではなかった現在の北京一帯)から西北のタクラマカン砂漠周辺にまで及んでいた。「辺塞詩」とはこれら都から遠く離れた「辺塞」での異民族との戦いを舞台にした「防人歌」のことで、家族や友人との別れ、過酷な自然、望郷、出征の悲しみなどが歌われている。 国が違っても、同じ人間であり、その気持ちを日本の「防人歌」のような歌に託したかった心情は同じなのではないだろうか。このような観点から今後、日本の「防人歌」と紀元前に中国を治めた古代王朝「周」の時代の「詩経」及び漢詩や文選との比較研究を行いたいと考えている。その研究を行うためにも「防人」という語の由来について考察する必要があり、本稿は「防人」という語、中国の防人、日本の防人について論じる。
著者
高 継芬
出版者
九州看護福祉大学
雑誌
九州看護福祉大学紀要 = The journal of Kyushu University of Nursing and Social Welfare (ISSN:13447505)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.3-13, 2014-03

本稿が取り上げた夏目漱石は、日本明治時代の文豪である。漱石は幼少期から漢詩漢文を精読し、教養を深めていた。漢文学を修得した彼は、そこからどのような影響を受けたか、漢文学にどのような影響されたのか、彼の作品及び彼の思想両面から論じていくこととする。 漱石はイギリス留学経験を持ち、西洋文明にも影響されたが、日本文学、西洋文学よりも漢文学を終始愛し続けていた。漢文学だけではなく漢文学の背景にある思想、すなわち儒教の思想にひときわ感化されていた。 漢文学では、政治、倫理道徳観念がもっとも重視されている。漱石の作品を貫いている思想は、漢思想と適するものがある。漱石は日本の文明批判家でもあり、社会批判家でもあり、明治社会に対する批判が漱石の重要なテーマであるといえる。 中国の読者が漱石の作品に親近感が湧きやすい理由は、作品の中に親しみやすい中国の漢詩や漢文の表現が多く見て取れることだけではなく、作品の行間から読み取れる彼の思想すなわち漢文学にある儒教思想と同じ思想が流れているからであり、漢文学は漱石の精神的創作の礎ともいえる。We discuss how Soseki was influenced by Chinese literature, at which he was excellent. His view point is from his work and thought. Although Soseki made a stay while studying in Britain and was influenced by Western civilization, he always continued to love Chinese literature rather than Japanese or Western literature. He was touched by not only Chinese literature, but also the thought of Chinese literature, i.e., the thought of Confucianism. Chinese literature places a great emphasis on politics and a sense of ethic and morality. The thought running through Soseki's work is the same as the one in Chinese literature. The thought which has pierced through Soseki's work is the same as Chinese literature thought. He quotes Chinese writings and Chinese poetry in his works. Soseki was a critic of Japanese civilization and society. His many works criticize the civilized society of Meiji and strongly are criticizing war. To criticize Meiji society is his important theme. Soseki also has a civilization criticism house in Japan. It is also a social criticism house. Chinese literature is the foundation of Soseki's spiritual creation. Furthermore, The reason why the Chinese readers easily feel an affinity with his work is that they can not only see the familiar expression of Chinese poetry and literature in his work, but also notice that his idea is the same as the thought of Confucianism, which runs through the Chinese literature by reading between thelines of his work. It can be said that the Chinese literature is the foundation of Soseki's spiritual creation.