著者
高井 昌史
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.94-105,137, 2001-03-21 (Released:2011-05-30)
参考文献数
20
被引用文献数
1

高校野球中継の視聴者が実際に行う主体的な意味付与や、そのゆらぎを分析する際、「本当らしさ」(Verisimilitude) という概念が極めて有効である。「本当らしさ」とは、実際になにが真実なのかということではなく、支配的文化が真実であるとしている何か、あるいは一般的に信頼できるものとして受け入れられている何かを意味している。さらに「本当らしさ」は「文化的本当らしさ」(Cultural Verisimilitude) と「ジャンル的本当らしさ」(Generic Verisimilitude) に分類される。前者は、テレビドラマのようなフィクションの外にあり、我々の社会生活における常識、基準に照らした本当らしさである。それに対して後者は、フィクションの中での本当らしさである。高校野球中継を視聴するとき、世代あるいは性によって「本当らしさ」の揺れ動く方向性に特徴がある。保護者の世代、および女子高校生は高校野球を「ジャンル的本当らしさ」に近いと認識しながらも「文化的本当らしさ」として見ようとする。そこには、努力をおしまず礼儀正しい、しかも男らしい若者像、あるいは男性像を求める大衆心理が働いている。それに対して、男子高校生の中の一部は、自分自身が高校球児との比較対照とされることを怖れ、高校野球をあくまでも「ジャンル的本当らしさ」として見ようとする。さらに彼らの中には「本当らしさ」に真っ向から対立し、それを否定しようとする「反-本当らしさ」(Anti-Verisimilitude) も見られるのである。このように、「本当らしさ」とは固定化された「静的」なものではなく、常に揺れ動く可能性を秘めた「動的」なものなのである。そしてその揺れ動きは個人の主観的な意味付与だけではなく、世代、性といった要因にも大きく規定されるのである。