著者
高倉 優理子
出版者
日本音楽学会
雑誌
音楽学 (ISSN:00302597)
巻号頁・発行日
vol.63, no.2, pp.61-77, 2018 (Released:2019-03-15)

本論文は,黛敏郎(1929~1997)の自筆スケッチ集である明治学院大学図書館付属日本近代音楽館蔵「Campanology資料」をもとに,《涅槃交響曲》(1958)及び《曼荼羅交響曲》(1960)の基礎和音成立過程を比較し,黛の創作活動における両作品の位置づけについて考察するものである。 黛は梵鐘音の音響分析結果をもとに作品を創作したことで知られ,《涅槃交響曲》および《曼荼羅交響曲》は,その代表作として捉えられてきた。「Campanology資料」は,黛が梵鐘音をもとに作曲した諸作品の一次資料であり,黛の自筆で「Campanology資料」と記入された表紙および作品の自筆スケッチと黛が創作の際に使用したとみられるドキュメントの計8点(資料1~8)から成る。8点の資料は,《涅槃交響曲》,《曼荼羅交響曲》及び電子音楽作品に関する資料を含んでいると考えられる。また8点の資料のうち,《涅槃交響曲》の資料は資料3-1,4,5,8,《曼荼羅交響曲》の資料は資料3-1,4,5,7である。 「Campanology資料」を用いて両作品における基礎和音の成立過程を比較すると,両作品とも山下敬治の論文「実験音響学」から得た梵鐘音振動数データを用いて作曲されているという共通点が見られた。しかし,《涅槃交響曲》の基礎和音が梵鐘音振動数データを書き起こして作成した和音の原形または移高形で構成されているのに対し,《曼荼羅交響曲》では梵鐘倍音の構成音における規則性をもとに音列を作成し,その音列の構成音を積み重ねて基礎和音を作成しており,両作品における梵鐘倍音の利用法は異なっている。これらの結果から,《涅槃交響曲》と《曼荼羅交響曲》は,双方ともに同一の梵鐘音データを研究する過程で生み出された作品であると位置づけることが可能である。黛は両作品の創作を通じて梵鐘倍音の規則性を複数の角度から分析し,自身の従来の作曲技法とも組み合わせて活用することにより,表現手法の拡充を試みたと考えられる。