- 著者
-
高松 洋一
- 出版者
- 東京外国語大学
- 雑誌
- 基盤研究(C)
- 巻号頁・発行日
- 2005
14世紀から20世紀初頭まで存続し、ヨーロッパ、アジア、アフリカにまたがる広大な国土を領有したオスマン朝は膨大な量のアーカイブズを残した。トルコ共和国のイスタンブルにある総理府オスマン文書館の所蔵資料は1億5000点以上を数えると言われ、このアーカイブズは世界史研究において第一級の価値をもつ人類の貴重な財産である。しかしながら1840年代以前の資料は、長く公文書館に収蔵されずにイスタンブル市内の倉庫に分散して保管され、移動を繰り返した結果、少なからぬ資料が失われ、互いに混ざり合い、原秩序の再現が困難になった。1930年代以降オスマン朝のアーカイブズは出所原則に基づき、部局の名称を冠したフォンドごとに整理されるようになった。しかしながら、すでに資料の多くが混交してしまったために、個々の資料についてその出所とされる部局は、推定に基づくのに過ぎず、本来の出所がそのフォンドの名称である部局ではない危険性がある。オスマン朝の政策決定過程は一般にボトムアップ型であったが、中央政府への報告に対して決定された政策が勅令の形で発布されるまで、一つの案件に関わる文書が様々なフォンドに分散して現存している。したがってアーカイブズのこの特質を活かし、ある案件に関し、具体的な文書処理過程を完全に再構成することが可能となる。資料の電子カタログ化により、複数のフォンドに分散してしまった同一案件の処理文書を、データベース上で相互にリンクさせる工夫が期待される。また一連の文書処理過程において、作成された文書の様式は他の文書のテキストにおいて相互に言及され、またテキスト自体も引用され、反復されるため、ときには未発見あるいは散逸した資料の大要を再構築することも可能である。先般の戦争で壊滅的打撃を受けたイラクにおけるアーカイブズも、オスマン朝期に関しては、資料をある程度まで再現することも可能であろう。