著者
高柳 俊一
出版者
上智大学
雑誌
アメリカ・カナダ研究 (ISSN:09148035)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.123-147, 1996-03-31

1957年プリンストン大学出版局から刊行された『批評の解剖』(Anatomy of Criticism) は各国語に翻訳され, ノースロップ・フライの名前は一躍文学批評・理論の分野で広く知られるようになり, 英語圏の文学研究においてそれまでややもすると軽視されていたロマン主義文学の復権の契機になった。フライは以後文学ばかりでなく, あらゆる文化現象を神話論によって解明し, 注目されるようになった。しかし生涯, カナダ・トロント大学の英文学教授として学研生活を続けるとともに, カナダ文学・文化の独自性を説き続けた。彼の文学理論はダンテなどの西欧文学全般を包含するものであり, 『批評の解剖』は百科事典的知識に基づく壮大な体系である。そこには普遍的世界文学がまとめられ, 披露されているが, カナダという地域的な要素は一度も言及されていない。しかし彼は国内ではカナダ文学・文化のアイデンティティに気付かせてくれた偉大な思想家だとみなされている。本論文は彼の西欧文学についての文学理論がカナダ文学・文化についての彼の早くからの関心と意識から生まれてきたものであることを示そうとしたものである。彼はカナダ合同教会の牧師であり, 英国ロマン派詩人ウィリアム・ブレークの研究から出発した。彼の思想的形成の背後にあるのは, いわゆる非国教会 (Nonconformism, dissenters) と米国独立後にカナダに米国から移住した Loyalist 的伝統であり, 北米におけるカナダを米国と一方では同じ文化伝統をもちながら, 他方では米国独立を契機にして米国とは違ったものであるカナダ文化の意識である。フライはカナダ文化が一見ローカルで, 国内での地域性を内包しながら, 同時に20世紀のグローバルな時代にナショナリズムの弊害の洗礼を受けずに形成された文化であり, 世界に開かれたものというヴィジョンをいだき, それを西欧人文主義の立場から説き, 『批評の解剖』にはじまって文学理論を文化理論にまで発展させた。そう考えれば, 彼の関心の中にあった二つの極が一つのものであったことが理解されるのである。(『批評の解剖』他の翻訳は法政大学出版局から刊行されている。)