- 著者
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川田 侃
- 出版者
- 上智大学
- 雑誌
- アメリカ・カナダ研究 (ISSN:09148035)
- 巻号頁・発行日
- vol.5, pp.1-32, 1990-08-30
一国の世界市場での国際競争力が強くなり, その国の世界における産業的・経済的優越性が顕在化して, 経済的覇権の樹立がみられるようなときには, 当該覇権国の経済のためにも世界経済全体のためにも, それに見合った適切な政策転換が不可欠の要請となる。もし適切な政策転換がなされない場合には, 世界経済全体のバランスが崩れて, 結局のところ, 覇権国の経済も大きな痛手をこうむることになる。しかし, 歴史上そうした政策転換はとかく後手にまわって遅れがちとなり, そのため世界経済に容易ならぬ諸困難をもたらすおそれもある。そのことは, 近年とみに世界市場における国際競争力を増大させつつあるにもかかわらず, 自国市場の開放等に関してこれまで概して受動的, 消極的で, そのことのためにアメリカをはじめとして世界諸国からの批判を受けている日本の事例についてみても, 当てはまるようにみえる。いま1980年代の中葉にあって, 日本は世界のあらゆる国のなかで飛びぬけて高い貿易収支, および経常収支の黒字を抱えている。このことは直ちに欧米の経済的諸列強に対する日本の産業上, 商業上, 金融上等の経済的優越がすでに定着したことを物語るものではないとはいえ, 日本の貿易収支や経常収支の黒字は, かつて世界のどの国も経験したことのないほどの巨額のものに上っており, この状態そのものが世界経済に対する深刻な脅威となっている。そのためこの巨額の黒字を取り除くために, 市場の開放をはじめとして多くのことが日本に求められてきたが, 日本の対応は必ずしも適切かつ素早いものではなかった。確かに, 1985年9月のアメリカのレーガン政権による新通商政策の発表や五カ国蔵相会議(G5)を契機に, 日本は市場開放行動計画(85年7月)の実行繰り上げ, ドル高是正のための協調介入など, 一連の経済政策を積極的に開始したが, こうした行動は本来もっと早い時期にとられるべきであったろう。この小論は, 最近のこうした日本の経済政策の推移変転を念頭に置きながら, 一国の世界市場における国際競争力が強化され, その世界に対する産業的・経済的優越が顕在化するようなとき, それにともない要請されるべき政策転換の問題を取り上げようとするものであるが, ここではさしあたり、その歴史的先例を19世紀のイギリス, および第1次世界大戦後のアメリカに求め, かつての世界経済舞台において, こうした政策転換に関連していかなる諸問題が起きたかを, 第一の課題として取り上げたい。次に, 第2次大戦後確立されたアメリカの経済的覇権が60年代末葉以降, 次第に動揺するにしたがい, それにともなっていかなる政策転換ないしは政策調整の必要が生じ, その屈折点はどこに見出されるか等を, 第二の課題として取り上げたい。また最後に, この過程を通じてアメリカとは逆に, 漸次, 産業的・経済的優位に向けて接近の度を増しつつあった日本の諸政策についても, 一応の検討を試み, それらについての問題点を探ることを, 第三の課題として取り上げたい。