- 著者
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高橋 文治
- 出版者
- 大阪大学
- 雑誌
- 基盤研究(C)
- 巻号頁・発行日
- 2003
一九六七年、上海市郊外嘉定県の明代墳墓から、成化年間(一四六五-八七)の刊行にかかる一二冊の版本が発見された。それら一二冊は墓主の枕元に積んであったといい、一一冊は「説唱詞話」と呼ばれる唱導文学の通俗的な読み物、残る一冊は『白兔記』という演劇の台本であった。本研究は、この『白兎記』について、校本を作成し、それに訳註を付すことを目的とした。『白兔記』は、五代後漢の高祖劉知遠とその妻李三娘、息子咬臍郎の生き別れと再会を描く演劇であり、古くから四大南戯の一つに数えられてきた、初期の戯文の代表作である。劉知遠と李三娘、咬臍郎の悲歓離合は恐らく歴史事実ではなく、劉知遠の祖先の沙陀突厥が佛教とともに中国にもたらした物語原型に歴史上の劉知遠が当てはめられたものであろう。この物語は、まず金朝時代に『劉知遠諸宮調』という作品を生み出し、次の元朝期には『新編五代史平話』と元雜劇「李三娘麻地捧印」(佚)を生んだ。この「李三娘麻地捧印」はやがて南に渡り、同じく元朝期に、中國南方系の演劇形態に改編され、いわゆる「南戯」へと姿を変えたのである。こうして生まれたのが恐らく南戯『白兔記』であった。『白兔記』の版本として従来知られていたのは、毛晉の汲古閣が刊行した六十種曲本と、金陵唐氏が萬暦年間に刊行した富春堂本の二種があった。成化本『白兎記』が発見されることによって、成化本と汲本・富春堂本がいかなる関係かあきらかになった。また、成化本『白兎記』は南戯の比較的古いテキストに属するばかりではない、実は今日知られる最古の版本でもあった。成化本『白兔記』は單に『白兔記』の演變を考える上で重要なのではない、南戯そのものの發生や展開、初期の形態・臺本を知る、中國演劇史に不可欠の資料であり、また、白話文學史、白話史、書誌學の各分野にも不可欠の資料である。この成化本『白兎記』に、本研究は今日望みうる最高の注釈とを施し、校本・訳・註をまとめた「成化本『白兎記』の研究」が汲古書院から2006年に上梓される。